あ〜さんの音工房

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25/ラスト・ポエム/焼きいも、石焼きいも

25


 今の背丈になったのは中3か高1の頃だ。中2の時には既に171に近かったはずだから、足のサイズが大きく変わっていたとは思えない。身長と足の大きさは連動してるって言うからさ。本当かどうかは知らないけれど。

 なぜブカブカの靴を穿いていたのか解らない。明らかにつま先が余っていたし、いくら靴ひもで締め付けても、中の足はブレブレだった。26だったんじゃないだろうか。靴屋で足を通してから買ったプーマのスニーカーだ。メーカーが何に向けて作ったのかは解らなかったが、ラバーソールに直径1センチほどのイボがたくさん付いている、ターマックよりはグラベルに適しているような青に白いラインの靴だった。
 周りの友人たちが皆26だったから、負けてなるものかと26にしてしまったのかも知れない。中2の少年がなにに負けたくなかったのかは理解しかねるが、おそらく、そんな、後から考えても訳の分らない思春期特有の理由だったのだろう。
 いかんせんサイズが合っていないものだから走るのはもちろん歩行時でも違和感がある始末。それ以来履物はぴったりのサイズのものしか買わない。

 この当時も、大人になってからも、中年の今でも足のサイズはUS6.5,UK6,センチで25だ。靴その物に関しては、親に買い与えられていた→一足2万円以下の選択はしなかった→2千円以下で手に入らないかと血眼で探している、と残念な変遷をしているけれど。

 夏向けキャンバス地スニーカーの底が抜けそうなので、なんとなく思い出した次第。25センチの靴を探さなくては。









ラスト・ポエム


 本当は雲なんて見ていなかった。山間に引きこもった今の方が、余程空を見上げている。

 その頃の町田駅前には、デパートといえば大丸百貨店しかなかった。まだ国鉄で、原町田駅だった頃の話だ。小田急は駅ビルになっておらず、もちろんJR町田駅への連絡通路もなかった。
 町田駅周辺では老舗と言って良い大丸は、閉店間際に詩の朗読を店内放送していた。「ラスト・ポエム」と呼ばれていたそれは、一般から作品を公募して、若山弦蔵氏が朗読していたのだった。
 当然のように私の親父は投稿し、採用されていた。毎月1作は送っていたように思う。採用されると若山氏が朗読し、実際に店内放送されたカセットテープが、商品券とともに郵送されて来た。商品券は確か2千円ほどだったと思うが、親父はまとまった金額になると靴やネクタイに換えていた。
 
 ある時親父は、何か欲しかったのか、足りない足りない、もう少し欲しいと言い出し、私にも詩を書けと強要した。小学生だった私はデパートで読まれるようなのは書けないよ、と断ったが、大丈夫だ俺のコネで必ず採用されるからと退かなかった。
「ラスト・ポエム」常連だった親父には、暑中見舞いと年賀状が大丸百貨店から届いているほどだったので、同じ名字で同じ住所からの投稿には、幾ばくかの配慮が期待出来たのだろう。
 当時の私は、そもそもコネとは何だか分らなかったが、とにかく書いてみる事にした。雲をモチーフにした、こんな感じの内容だったと思う。

 大空に浮かぶ雲の形はいろいろだ
 思わず食べてしまいたくなるもの
 恐竜が大きな口をひろげているもの
 友達の横顔にそっくりなものもある
 刻々と形を変えて行く雲とは
 なんて不思議なものだろう

 こんな感じだったと思うが、昔過ぎてうろ覚えにも程がある。とにかくわざと舌足らずに、子供らしさを前面に押し出して書いた事だけは覚えている。
 驚いた事に親父の思惑通り私の作品は採用になった。◯月◯日放送になるので是非お運び下さいと通知が来たのだ。私たち家族は閉店間際の大丸で、それを聞いた。素敵な弦の調べに乗って、渋い声のおじさんが、私の書いた詩を読んでくれた。あまり嬉しくはなかった。コネとは贔屓なのかと思った。

 今ならもう少しまともな詩が書けそうだが、大丸はもうない。喧噪に満ちた一日を詩の朗読で終える。こんな素敵な店じまいの仕方、もう、どこにもないだろう。
 物置の片隅では聞く術をもたないカセットテープが、ただ埃を被っている。









焼きいも、石焼きいも


 近所に家が建つらしく、重機が朝から騒音を撒き散らしている。まだそんな余地があったのかと思うが、来年には急傾斜地崩壊対策工事も始まると通達が来たのだった。ここへ越して20年経つが、いつになれば平穏に暮らせるのかと閉口していると「焼きいも、石焼きいも」とスピーカーから発せられた声が繰り返され風に乗って聞こえて来た。
 この辺りにやって来る移動販売車は豆腐とパン屋くらい。焼きいも屋は初めて耳にするかもしれないほど珍しい。今は1本どれくらいするのだろう。100円ということはあるまい。300円か500円か、それくらいはするだろう。子供の頃住んでいた辺りにも焼きいも屋は来ていた。冷え冷えとした風の中を煙突からもくもくと煙をたなびかせて「焼きいも、石焼きいも」とテープを流しながら、どこからともなくやって来たのだった。
 
 焼きいもの移動販売車は停まる前から子供たちに取り囲まれていた。軽トラの荷台に載せられた釜の蓋を開け、石炭の山の中から赤黒いさつまいもが顔を覗かせると、皆の間から歓声が上がったものだ。私など小銭すら持ち合わせていない子供らは、買い求めた人が早速2つに割って頬張っているのを見ては指をくわえていた。
 黄金色の中身から沸き上がる湯気。紅色の皮にところどころ付いた焦げ。そして何より胃袋の底に突き刺さって来る甘い香り。冬の夕刻にこれ以上食欲をそそる食べ物が他にあろうか。「食べたい、買ってくれ」と母親に何度懇願したか知れないが財布の紐は固く、まずありつける事はなかった。それでもほんの時たま、本当に少ない機会だったが口にする事が出来た。
 新聞紙に巻かれたそれは、もう熱々で、そのまま頬張ればなんちゃらクラブ顔負けのリアクションができるほどだったが、もちろんそんなことはせずに妹たちと分けて食べた。「ひとくち、ひとくち」と群がって来る友人たちにも分けてやった。その時ばかりは半径5メートルを完全に手中に収め、石油王気分を味わえたのだった。
 焦げた皮が好きだ。香ばしくて少し苦くて。もちろん中身だって好きだ。塩をふっても、バターをつけても。先の方にまとまっている繊維が歯に挟まろうとも。

 焼きいもの声は重機にかき消され、いつの間にか暗くなって冷たい風が吹き出している。冬だ。冬が来たのだ。今晩は何か暖まる物を食べよう。寒さを追い払うのだ。ストーブに火を入れよう。夜は長い。