あ〜さんの音工房

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愛しのポール・ジェイコブソン

駅前の楽器屋のガラス張りのショーウインドウの中で
そのとき私は演奏していた。
近々舞台で独奏する予定があったので
その為の演目を弾いていたんだと思う。

「キレてるねぇ、指入ってるねぇ。もう少しで終わるから、そのまま弾き倒しててよ」

デュオの相方がこの店の雇われ店長だったから
自身の楽器を思う存分弾きながら待つ事が出来たのだ。

米国の製作家ポール・ジェイコブソンが1990年に作った
杉のギターが私の愛器だった。
展示会で巡って来たこのギターはアンドレス・セゴビア
最後に弾いたコーヒーの染み付きラミレスと共に
この店の壁に吊るされていた。
雇われ店長は松のブライアン・コーエンを薦めたように思うが
私は、あの杉のギターを弾かせて欲しいと頼んだ。
そう、私はそれが誰の作なのかも知らずにいたのだ。

惚れ惚れとするほどの美しい曲線を描いたボデー・フォルム。
「本物の」ハカランダを奢ったサイド・バック材。
高音弦側を僅かにレイズさせた黒檀による指板。
音を出す前から良い予感しかしていなかった。

私の中に収まったそれは、少しだけ小振りだったが
思ったより深い胴から繰り出される力強い低音と
滑らかで粘り付く事のない良く歌う高音を兼ね備えていた。
そして糸巻きはこの名器に相応しくロジャースが奢られていたが
両端がヘッドの形状と合わせて特注されている様だった。

当時1年ほど某邦人製作家の杉のギターを使用していたが
満足を得られていなかった私は
今すぐリボンをかけて包んで欲しいと
雇われ店長に言った。


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ショーウインドウの向かいの壁の中は貸しスタジオになっていて
時間になる度に人が出入りしていたが
中には足を止めて私の演奏に耳を傾ける人もいた。
十日ほど後にステージを控えていた私は
今すぐに舞台に上がりたい程調子が良かった。

「いや〜、アンコール用意しといた方がいいんじゃないの?」

雇われ店長がそう声をかけて来るほど
実に良い演奏をしていたと思う。
そして、本当に、この日がピークであったことが
後々解るのだった・・・
なぜなら本番ではヘロヘロだったからだ。
(詳しくは記事忘れられない盲目のギタリストをご参照ください)

「あ〜さん、凄い事が起きたよ」

雇われ店長が演奏を遮って言った。

「今、あの人が弾いてる曲何かって尋ねてきた人がいてさ、その曲の楽譜買ってったよ!」

なんと、私の演奏が人の心に届いたのだ!

「楽譜は本と同じで利幅が少ないから、いくらか渡すって訳にいかないけどさ、ギター売れたら10%やるからガンガン弾いてよ」

それよりも何よりも演奏で人の心を動かせた事が嬉しかった。
野良ギタリストとして
それは正に至福だった。

今思い返すに、きっと、その人は
どうやら良い曲らしいが定かではないので
自分で弾いてみようと思ったんじゃないかと考えた方が良さそうだが
その時は、すっかり勘違いしてしまったよ。


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何かしらのパフォーマンスで人の心を動かし
行動させるのは至難の業だ。
文章でも演奏でも。
それを軽々と成し遂げる芸術家とは
なんて凄い人達なのだろうと改めて思う。

ブログに書き留めて置いた事が
何かの役に立つ事もあるのなら
また、なにか書いてみるとするか。
数ヶ月後、数年後に読まれる事もあるのだから
きっと、いつか誰かの役に立つ事もあるだろう。

10年以上喜びを与えてくれたジェイコブソンは
今はもう手元にはない。
誰かの元で歌っているのか
それともしまい込まれているのか・・・・・

15年も前の事を思い出せて良かった。
ありがとう、ジェイコブソン。
お前は最高の相棒だったよ。