あ〜さんの音工房

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ポール・アダムとオールド・ヴァイオリンの話

 
 ポール・アダム作『ヴァイオリン職人の探求と推理』を読了。面白かった。ストラディヴァリは出てこなかったけれど。(久しぶりに文字数多めなので以下は時間のある時にどうぞ。とても長くなってしまったから)


 本編に入る前に登場人物が列記されていて、過去の登場人物の欄にアントニオ・ストラディヴァリ、グァルネリ・デル・ジェス等々とあったので、作中に本人たちが登場するのかと勝手に期待していたのだが肩すかしを食った。名器紛失の顛末かエピローグでの関わりを予想していたのだが・・・それ以外はとても良かった。山場は2つほどあって、最初のは意外にもある演奏会だった。そこでこの作者が相当な音楽好きなのが解った。音楽で心震わせた事がないと決して描けない筆致だった。とても共感出来たよ。もう一つは探していたヴァイオリンにたどり着くくだりで(ストラドじゃなかった!)アクションもあってね、それも良かった。
 主人公ジョヴァンニ・カスティリョーネを通して注がれる作者の目線は滋味に溢れたもので、善人も悪人も取り揃えた登場人物は皆魅力に溢れていたし、ジャンニは年齢相応に穏やかで誠実なヴァイオリン作りだが暗黒面も持っていて、それが彼の人物像に深みを与えていた。そして本作は老職人が贖罪する物語でもあったのだ。バタバタしたどんでん返しなどなかったが、予想を裏切る展開は推理小説と呼ぶにふさわしい。ついに探し当てた奇跡の名器を目の当たりにするくだりとか、それをあのような形で自らの禊に供するとか・・・とても良かった。


 シリーズ2作目も翻訳されており『ヴァイオリン職人と天才音楽家の秘密』という前作を踏襲したタイトルだ(原題 PAGANINI'S GHOST)。そう、この天才音楽家とはあのパガニーニのこと。こちらには本人がお出ましになるのか?



 未読なので以下 amazon の商品説明より引用


名ヴァイオリン職人ジャンニのもとに、パガニーニ愛用の名器“大砲”が持ちこまれる。修理の翌日、美術品ディーラーの撲殺死体が発見された。彼はホテルの金庫に黄金製の箱を預けており、中にはエリーザという女性がパガニーニに宛てた古い手紙があった。これは事件解明の手がかりなのか?名職人にして名探偵が“悪魔のヴァイオリニスト”をめぐる壮大な歴史の謎に挑む!


 なんとデル・ジェス作の『大砲』がジャンニの元に!


 
 ニコロ・パガニーニが愛奏した『il Cannone 1742』は以前書き記したようにもう四半世紀毎日目にしているし(ポスターでですが)その音色も聴き込んでいる(ディスクでですが)私にとって最も身近な楽器の一つだ。それが作中に登場するとは! なんたる偶然。私が読まずして誰が読むのだ!
 


 こちらもamazonでポチッとしたが、野良書評家の方が面白い事を書いていたので言及したいのだが、批判する意図はない。予め断っておく。
 アマチュア木管奏者兼ギタリストと名乗っている方が『大砲』の駒交換のシーンからギターの駒について書いている。『ギターの駒の調整はとても困難で苦労している。弦との接触面が・・・高さコンマ1ミリがビビリの原因に・・・』などなど。だが私の経験では余程特殊な弾き方をしない限り駒の形状や高さはそれほどナーバスなものではない。
 愛奏していた『ポール・ジェイコブソン1990』にビビリが出てしまい友人のギター作りに調整を依頼した事があるが、すんなりと直してくれた。当時の私はとても熱心に演奏に取り組んでいたので(最終的にはネックの塗装が『ブラッキー』並に剥がれ落ちるほどに愛奏しましたが)一時たりともジェイコブソンを手放す事は出来なかった。なので無理言って工房に楽器を持ち込み、用を足している僅かな間に調整をしてもらったのだが、時間にして小1時間ほどで(ギター作りは30分も工作にかからなかったでしょうが)新たに獣骨を削り出して、どのポジションで弾こうが、どれだけ強奏しようがビリつく事のない駒を作ってくれた。私は満足し気前よく支払いを済ませ笑顔で工房を後にした事は言うまでもないだろう。ちなみにそのジェイコブソンの指板はレイズドフィンガーボードと呼ばれる特殊な仕様だった(当然通常の指板形状より駒を作る際何かと厄介)。木管奏者兼ギタリスト氏もそんなに苦労しているのならプロに任せるのがよろしかろうに。プロフェッショナルにとっては何の困難もない通常の仕事なんだよ、駒の調整って。だがこの方は楽器の修理・調整が趣味らしいので試行錯誤するのが楽しみなのかもしれないけれど。



 もう1人興味深いことを書いていた方がいた。こちらも批判する意図はない。くどいが念のため。
 こちらの方は『作者ポール・アダム氏も解説を書かれた青柳いづみこ氏(ピアニスト・文筆家)も、ストラドやグァルネリが新作楽器に常に勝るという前提で小説・解説を書かれているようで違和感を感じる』と指摘し、『米科学アカデミー』が主催したプロ奏者が新作とオールド・ヴァイオリンをブラインドテストしたら、総じて新作が好評だったという実験に言及している。新作もオールドも音色に大差はなく、クレモナ製オールド・ヴァイオリンが至高の音色を持つとするのは神話だという結論に至ったというのだ。そして野良書評家氏はこう結んでいる。『小説はフィクションなのでどうでもよいが、解説は「よい新作楽器」の実力も分かっている方に書いてもらいたかった』と。

 実験の詳細はこちらを参照されたい ↓ また文中『同じ研究チームが、2012年、より適切な環境と条件の下で、その検証実験を行った』とあるが2014年の間違い。
 

http://vivaoke.com/blog-entry-3829.html?sp


 この件に関する野良書評家氏の考えは「全くその通りだが、必ずしもそうではない」と私は思う。
 実験のことは私も聞き及んでいたが、だからなんだと打ち捨てておいた。なぜってあまり意味のある事だとは思えなかったからだ。この件に関しては実際に関わった人から実に真っ当なコメントが出されている。「この実験はストラドを当てるものではありませんでした。自分にとって好ましい楽器を選んだ結果なのです。この実験をしてストラディヴァリウスは現代の楽器と大差ないとするのは正しくはありません」



 実験に使われた新作は正に今を生きる状態で、なんなら製作者が立ち会っていたこともあり得るだろうが、オールド・ヴァイオリンの状態はどうだったのか? 誰が調整したの? 弓は各プレイヤーの自前を使ったそうだが弦はどうだろう。双方とも同じものを(もしくはそれぞれに適したものを)張っていたのだろうか? 「どんな名器でも弾き込まないと鳴らない」と言う演奏家は多いし、それを確認している製作家もまた多くいる。この実験がオールド・ヴァイオリンに不利な環境で行われた可能性は否定出来ないだろう。



 科学的な検証を謳うならばNHKがストラドの音色に迫ったドキュメンタリー番組において、レプリカと本物を無響音室に持ち込み、ただのプロではない誰もが知る一流演奏家が42本のマイクに囲まれた状態で自らが愛奏している(状態の完璧な)ストラドを弾いた際に、本物だけに同じ特殊な結果が出たということも知っておくべきだろう。揃いも揃って本物だけが同じ結果を示したのだ。不思議だがレプリカに同じ現象は起きなかった。



この連作カリカチュアは英EMI ASD3384 のジャケットから引用。演奏はパールマン。お気に入りの1枚だ。



 それに『米科学アカデミー』の実験ではストラドと共に用意されていた『デル・ジェス』が使われなかったのも腑に落ちない。ただのグァルネリではなく『デル・ジェス』があったのになぜ弾かれなかったのか? やはり状態に問題があったのではないのかと勘ぐってしまう。ポール・アダムは作中で『デル・ジェス』を最高のストラドをも超える至高の存在として描いている。そして現実でもストラディヴァリウスを手にする事が可能なのにも関わらず『デル・ジェス』を溺愛する演奏家は多くいるのだ。
 前世紀のスーパースター、ハイフェッツクライスラーはストラドもデル・ジェスも所有していたが愛奏したのは2人とも『デル・ジェス』だった。スターンは『デル・ジェス』しか弾かなかったし、コーガンとグリュミオーも晩年『デル・ジェス』にたどり着いたという。ああ、そうそう忘れるところだった。パガニーニとかいうヴァイオリン史上の最重要人物もモダン化された『デル・ジェス』で時代の寵児になったらしい。
 ストラドの1/5の残存数にしては有名どころに愛されている。この事こそが『デル・ジェス』の評価を裏付けていると言えるだろう。
 

 さて、話を戻そうか。オールド・ヴァイオリンは出来の良い新作と変わらない、もしくは米科学アカデミーの実験結果が示唆する通りそれ以下の存在なのだろうか? 答えは否だ。
 
 人の心身は思い込みに大きな影響を受ける。暗示と言い換えても良いだろう。またこの例で恐縮だが、水を怖がる子が水泳の時間になると発熱したり腹痛を訴え出すのは仮病ではない。プールに入るのを嫌がるあまり本当に熱が出るし本当にお腹に痛みを感じるのだ。この症状の極端な例が、そうではないのに腹が膨らむ想像妊娠であり、磔刑に処されたイエスと同じ箇所に傷が現れるとされる聖痕現象だ。ストラドやデル・ジェスを始めとするオールド・ヴァイオリンを手にしているという事実が演奏家の心身に影響を与え、その音楽に影響を及ぼすのだ。そしてそれは我々が想像するよりも遥かに大きく作用している。だが、ここまでなら神格化された現代の製作家の作品でもあり得るだろう。違うのはこの先だ。


 オールド・ヴァイオリンの製作家は物故しているので新作が現れることはない。なので現存する楽器はその評価が高ければ高いほど貴重だ。当然高値が付く。ヴァイオリンは需要があるので尚更だ。1000万ドルで落札された個体さえあるという。こうなると個人で所有することは叶わない。現在ヴァイオリン奏者が使用しているオールド・ヴァイオリンの多くは企業や財団から貸与されたものだ。個人所有者もいるが、ここまで高額になってしまうと今後はほぼ無理な状況になっている。なので、ほとんどのヴァイオリン奏者たちは、この楽器が欲しいとどれほど強く望もうがそれが叶う事はない。
 ところが、ごく少数の者にはそれが与えられるのだ。それがどんなことなのかを考えてみて欲しい。金に換えられない貴重な名器を奏でることの出来る喜び。代々弾き継がれて来た名演奏家の歴史に名を連ねることの出来る誇り。周囲からの羨望。そして選ばれし者のみが持ち得る自負。これらは最高の現代製作家の最高の作品を手にしても決して得る事の出来ないオールド・ヴァイオリンを愛器に出来た者のみが持てる特権だ。そしてこれらのことが演奏者の心身に影響を与え、その音楽に反映されるのだ。
 この点においてオールド・ヴァイオリンは『新作楽器に常に勝る』のであり、そしてこれこそが現代の名工たちが決して乗り越える事の出来ない唯一の(そして大きな)壁であると私は考えている。
 


『カンノーネ』のラベル。グァルネリ・デル・ジェスの『デル・ジェス』は俗称。本名はラベルにあるように『ジュゼッペ・グァルネリ2世』。記号『IHS』はラテン語の =Iesus Hominum Salvator(人類の救世主イエス)の略。そこから(楽器そのものの素晴らしさも相まって)『デル・ジェス』(イエス・キリストがごとき)と呼ばれるようになった。


 
 そして私は常々こう思っている。ヴァイオリンやギターの製作家は無論、ものづくりに携わっている全ての職人のみなさんの存命中に幸あれと。


 それにしても私にとって最も身近な(少なくともそう思い込んでいる)デル・ジェス作『カンノーネ』が登場する小説があろうとは! もう期待しかしてないよ。そしてその期待に大いに応えてくれるだろう事を願ってやまない。頼むよポールじいさん。あんたの作品に夢中なんだからな。