あ〜さんの音工房

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雪が降ればよかったのに

 

 雨が降り出していた。
 学校帰りのある日、ぼくは最寄りの駅を乗り越して、当時の町田で一番のおしゃれデパート『ジョルナ』に向かっていた。雨降りの日にわざわざ足を運んだのだから何か用があったのだろうが、覚えていない。その日見上げた空に雲の切れ間はなく、遠くで雷が鳴っていたように思う。真冬の寒い日だった。


 JR町田駅から出来るだけ濡れない道を選んで歩いたが、空からはもう止みそうもない大粒の雨が落ちて来ていた。帰りはどうなっているのかと心配になりながら『ジョルナ』の中に駆け込んだ。
 何かしらの用事が済んだ後、おそらく雨宿りも兼ねていたんだと思う。ぼくはレコード売り場にいた。なにを探すのでもなくレコードを漁っていると、不意に声をかけられた。振り向くと中学の時の同級生、タカオが立っていた。別々の高校に進学していたぼくらは、連絡を取り合う事もなくなっており、これが久しぶりの再会だった。おう、どうしてた、などと近況を語り合いながらもタカオが傘を持っているのを認めると、ぼくは占めたと思った。これで濡れずに帰れる。
「その傘貸してくれ」ぼくは指差しながら言った。
「いやだね」
「家まで20分も雨の中歩きたくないんだ、貸してくれよ」
「いやだ」彼は頑に拒んだ。
「何でだよ。おまえ傘なくてもバスセンターからたいして濡れずに家まで辿り着けるだろ。貸せって」
「いやだ」タカオは顔を背けた。
「おまえ・・・」次の瞬間、タカオはがたがたと音を立てながらレコード棚に体を預けていた。店の人は馬鹿な学生たちに関わるのは御免だとばかりに、手元から視線を外す事はない。我に返って倒れかけたタカオを見ると、なぜだかニヤついているのが目に入った。ぼくはその場を飛び出すと階段を駆け下りた。右の拳が痛んでいた。
「なぜなんだ」が頭の中を駆け巡っている。ぼくの要求はそんなに無理なことだったのか? 
 中学時分、彼が一緒に行ってくれと誘うから、大して興味のない『まだ16だから』でお馴染みの伊代ちゃんの握手会について行ってやったのはぼくだったろう。『春なのに』でお馴染みの芳恵ちゃんの時もチケットやるから一緒に行こうと誘って来たのはタカオだったはずだ。仲良くしていたんだ。そのはずだ。断るにしても言いようがあるじゃないか。
 雨で髪を湿らせたぼくは車窓に映る自身を見据えながら自問自答を続けていた。


 最寄りの駅に着くと雨脚は更に強くなっていた。分厚い雲が空を覆い、暗く寒い。まだ夕刻とも言えないような時間だったが、早めに仕事を始めた街灯が面倒くさそうに街を照らしていた。駅の向かいの本屋の灯りが、アスファルトに弾かれた雨粒を映し出して、電車から吐き出された人々の歩みを躊躇わせている。ぼくは迎えの車に乗り込む人を尻目に、意を決して足を踏み出した。
 髪も、肩も、足下もすぐにずぶ濡れになった。寒さに震えながら「雪ならよかったのに」と呟いてみたが、雨音がそれをかき消して、ただただ雨に打たれ続けた。うなだれないように顔を上げたかったが、激しい降りがそれを拒んだ。