あ〜さんの音工房

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『牛を見張れによる変奏曲』を弾いてみた 


 やっと暖かくなったので、ナルバエスの『牛を見張れによる変奏曲』を弾いてみました。曲そのものについては何も言う事はないんだけど、数種あるらしい楽譜通りに弾いているだけってどうなの? 繰り返しを装飾しないのはおかしいし、変奏と変奏の間を何もしないのもおかしいとは思わないのだろうか? あの空白は「各自、思うがままに」という当時の慣習だろ。演奏者がいろいろと思考をこらす場のはずだ。何もしないって・・・なので装飾してみた。



 リュート奏者なんか散々即興まじりの演奏をしているのに、プロもアマチュアもギター奏者の体たらくは目に余る。楽譜通り弾くだけって、マジメかよ。みんな技術はあるのにただ弾いているだけだ。装飾すれば良いってもんじゃないけれど、ただ弾くだけなんてあり得ないよ。こうしてみよう、ああしてみようとは誰も思わないのだろうか? 謎だよ。


 ちなみに私がこれまでに投稿したクラシックレパートリーの中で、最も多くの評価を得ているのは『アラビア風奇想曲』だ。そう、散々「あり得ない」装飾をしているあれなんだよ。誰もあのように装飾して演奏している人はいないんだけど、共感してくれたり、面白がってくれる人が多くいるんだ。今回の演奏はどうなるかは判らないけれど、これが私が考えるこの曲の答えだ。もっと技術があればやってみたいことはあるんだけど、これで精一杯。野良ギタリストの限界だ。だが野良ギタリストだからこそ何の制約もない思うがままの演奏が可能なのだ。なぜ多くの人はトリルすらしないでいられるのだろうか? もっとのびのびと演奏を楽しんで欲しいよ。


 春が来たことだし、気分も体も軽く日々を楽しみたいね。