シャコンヌへの道 その6
ついに編曲・暗譜が終了した。雨のおかげかな。
明らかなベースの付け間違いがあったけど、編曲自体はスムーズだったな。
だがしかし、マイナーパートのアルペジオは現状では弾けない。
練習を重ねれば弾けるだろうと目論んでいるが
かなり手強い。思ったように速度が出ないし。
その手前のスケールも相変わらずちっとも鳴らない。かっすかすだ。楽器のせいじゃないのかな?
「なんだと」
そもそもギターのハイポジションは鳴らないように出来てるんだし。
「楽器のせいにするんじゃねぇ」
野良ギタリストの限界を感じています。
「諦めたらそこでゲームセットですよ」
いくら時間があるからと言って、長時間弾き続けると体に良くないので、合間に読書してます。
「ギター関連じゃないのかい」
素晴らしい楽器ですよね、ヴァイオリンて。超すごい大好きです。
「こらこら、逃げんなって」
この本の冒頭にとても興味深い一節がある。「音楽家は、自分の持っている楽器の性能を越える演奏をすることが出来ない」。この考えは面白い。逆に楽器の内包する可能性を演奏家は完全には引き出せていない、とも言える。ヴァイオリンに関して言えばパガニー二の出現までこの楽器はその性能の半分も表せてはいなかった。しかもそれは製作したグァルネリ・デル・ジェスの死後で、製作家本人の予想もしていなかったことであった。デル・ジェスに限らず誰一人として想定していなかった可能性をヴァイオリンという楽器は内包していたのだ。
「ギターも可能性の固まりですよ。引き出してみなされ」
まだ半分くらい読んだだけだが、私の主張が出て来るだろうか。それは「歴史を持った楽器はそのコンディションに関わらず演奏するものに多大な影響を与える」という考えだ。名器と呼ばれる楽器は歴代の名演奏家が弾き継いでいるものだ。その系譜に名を連ねる喜びや自負が、演奏する者にポジティブな影響を与え、奏でる音楽に変化をもたらす。なのでブラインドテストで最新の楽器と判別付かなかろうが名器の価値は揺るがないのだ。そもそも初めましての楽器を魅力全開で弾ける奏者など1人もいるわけないのである。
このまま進めて無理なら手直しするとしよう。まだ1度も通して弾いてはいないんだ。分割して練習している。だが、ここまで来たらやるだけだ。問題は右手だ。スムーズな指捌きで高い音程を鳴らす技術を身につけたい。楽器には無限の可能性があると信じよう。