あ〜さんの音工房

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文春新書『ストラディヴァリとグァルネリ』を読了して

 


 先日も触れた本書だが、まずは間違いを指摘しておこう。最終章247ページに以下の記述がある。


「表板・裏板が湾曲しているヴァイオリン属は、弦の張力や響体の振動などに対する耐久力が高い。表板と裏板がフラットなギターの寿命は通常数十年、コンディションが良ければ百五十年とも云々・・・」


 この本にはこれより前にもギターの例えがあったと記憶しているが、この記述には明らかな間違いと疑問が渦巻いている。


 クラシックギターの表面板と裏板は平面ではない。バイオリンは削ってアーチと呼ばれる湾曲を形作っているが、ギターは圧をかけてわずかながら湾曲させているのだ。これをドーミングと呼ぶ。以下の画像を良く見て欲しい。



 これは裏板。解りやすく撮影出来たと思う。中央にかけての膨らみが見えるだろう。



 こちらは表面板だが、膨らみが解るだろうか?



 上から見ると駒板(弦が結ばれている黒っぽい長方形の板)は端から端まで写るが、



 平行に見ると湾曲しているので、向こう側の端は低くなって見えない。


 全てのクラシックギターにこのようなドーミングが施されている訳ではないが(量産品は見事なまでにフラット)、先の記述は(失礼ながら)無知による間違いだ。ギターで例えるべきではなかった。
 また湾曲を耐久性に結びつけているが、ギターに関してはドーミングを施すと不具合の可能性が増えると思う。表面板はどのように曲げているのか? 力木も曲げているのか、削ってカーブさせているのか? 駒板も湾曲していないと表面板とは合わない。要するに無理が多いので作られたばかりのギターは鳴らない。これに関しては各製作家のノウハウが詰まっている機密事項なので訊ねても教えてくれることはまずない。板を湾曲させると剛性は向上するが(波板は剛性を持たせるために考案された)その表裏に部品を接着しなければならないギターには当てはまらないと思う。ドーミングはそれ以外の目的でされている。ヴァイオリンには効果があるのだろうが、それにしては割れ過ぎではないだろうか。ギターは場合によっては叩くことすらあるが、あんなには割れない。


 この本で最も興味を引かれたのは「音楽家は楽器の性能を越える演奏をすることは出来ない」の一節とその具体例だ。このことは私も身を以て体験している。
 必要に迫られてクラシックギターを手に入れたが、そこはリサイクルショップで埃に塗れていた量産品。基本さえ曖昧な野良ギタリストの要求にすら応えることが出来なかったのだ。これで解ったのは量産品は入門用には使えるが、野望に燃える野良ギタリストには向かない。レベルの低い話しだが「楽器の性能」が私のやる気をスポイルしていたのは確かだ。


 本書にいくつかのエピソードが語られている諏訪内晶子は、学生時分に『チャイコフスキー国際コンクール』で優勝したが、その時点で「所有する」ストラドを使っていた。「おばあちゃんに買ってもらった」と訊いているが、当然ながら全ての優秀な学生がこのような恩恵を受けられるわけではない(価格が狂ったように高騰している現在なら尚更のこと)。諏訪内が桐朋学園に入学した年の学生会長と知り合いだったので(ピアノ科の人だった)いろいろな話を聞き及んだが、まあ学生達の嫉妬と羨望は凄まじかったらしい。それにあの美貌だからね。よく大成したと思う。よほど才能に恵まれていたのだろう。
 そして恐ろしいエピソードも。ストラドを貸与され順風満帆な活動をしていた演奏家が、そのストラドを使えなくなってしまった途端に演奏会に人が足を運ばなくなり、音楽的にも没落して行ったという。嘘のような本当の話だそうだ。
 だがしかし、経済格差によって将来を嘱望される人材が埋もれてしまうのならば、ヴァイオリン奏者を志す若者自体がいなくなってしまいかねない。これは由々しき事態だ。


 ヴァイオリン業界にもこのことを危惧している人はいる。先日放送された『バイオリン500年の物語』と題された番組の中でその人が紹介されていた。
 この番組ではストラドの「性能」についても科学的に検証しているが、そんななか修理職人で、これまでの経験則と科学的データを駆使してオリジナルのバイオリンを製作している窪田博和氏のターンは特に興味深いものだった。凄かったのはこれまでに得られたことの多くを番組中で開示してしまっていることだ。本人曰く「自分だけでは数を作れない。(データやノウハウを)公開して出来るだけ多くの人に良い楽器が行き渡るようにしたい」とのこと。 窪田氏は「新品のオールド」を作るべく挑戦を続けている。


 この本の著者は(おそらく)本文でこの番組に触れていて一蹴しているが、私はそうは思わない。窪田氏の努力が実を結び、これまで名器の恩恵を受けられなかった人たち、プロはもとより学生やアマチュアにも広くそれらが行き渡り、それぞれがそれぞれのレベルで、その才能の全てを発揮出来る日が来ることを願っている。一握りのプロが独占している現状は仕方がないにせよ馬鹿げている。伸び盛りの学生こそ無限の可能性を秘めた楽器を使うべきだ。楽器の性能で音楽を志す者の行方が決まってしまうなんてあってはならない。これまでにどれだけの才能を失って来たと言うのか。オールドヴァイオリンの価格は今後も高騰を続けるだろう。人口が増え続ける新興国での需要が必ずそうさせる。ヴァイオリン業界はこの状況に終止符を打つべし。その為にも妥当な価格で手に出来る「可能性を秘めた」楽器を、求める全ての人々に与えるべく努力をしなければならないだろう。


 本書ではプロフェッショナルの凄さについての記述も多く出て来るが、どれも首肯けることばかり。本当にその通りだと思う。ギターの世界でもプロとアマチュアの格差は、技術的にも音楽的にも海より深い。そして何より個性的な人しかいないのだ。私も世間からは個性の強い人呼ばわりされることがあるが、プロギタリストのみなさんに比べれば平均から少しもはみ出ることのないただの人である。
 ところでプロギタリストのみなさんがどんな楽器を使っているかだが、オールドを常用している人はほぼおらず、現代製作家の作品を使用している。そして何よりもギターと言う楽器は進化を続けているのだ。バイオリンは過去しか見ていないが、ギターは近年にも新たな構造が考案され続けている。理想とされる雛形『アントニオ・デ・トーレス』が有るにも関わらずだ。価格も出来の良い手工品が100万で手に入るし、物故者の作でも500万ほどで、1,000万を越えることは稀だ。そう考えるとギター業界は健全だよな。ヴァイオリニストじゃなくて良かったよ。


 『ストラディヴァリとグァルネリ』は教示に富んだ面白い1冊だった。興味を持った方は読んでみて下さい。『バイオリン500年の物語』もNHKのサーバにあるはず。そちらも是非。