あ〜さんの音工房

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『松のロマンス』を弾く#2

 


 まずは冒頭から7小節目までを見て行こう。


 7小節と言う切りの悪い小節数からも解るように、メロディーは歌っているのに弾き辛さがあるね。3小節目で一旦収束する際に寸詰まり感があるからだ(譜例1)。


譜例1


 普通は4小節使って収めるはず(譜例2)。


譜例2


 弾いて見れば譜例2の方が自然であることが実感出来るだろう。だが作曲者はわざわざ違和感を作っているのだから、演奏する際にはこの違和感、寸詰まり感を表さなければならいだろう。間延びしないように弾かなければならないぞ。


 次の違和感。


 4小節3拍目にクレシェンドの松葉が付き、5小節の頭で f に至る(譜例3)。


譜例3


 そして6小節1拍目にp(とrit)が付き、小節の終わりにかけて今度はデクレシェンドの松葉が付いて7小節頭のpに至るのだが、pからpへのデクレシェンドは出来ない相談だ。7小節目のpは pp であるべきだろう(譜例4)。


譜例4


 これは誤植か校正の不備だと考えられる。


 ここまでの演奏困難ポイントは、まず4小節最後の拍から5小節1拍目にかけての和音の連続だ(譜例5)。大きな移動をを伴いながらの<なので難しい。この部分は別の運指も考えられるが、記載に従った方が技術的に楽だし音楽的でもある(セゴビアもそうしている)。


譜例5


 5小節は2拍から3拍目にかけてのバスの扱いと、ストレッチする運指が厄介だし、さらに6小節目1−2拍にかけてはノイズ対策が必要だ。それに2つ目のバスは省く選択肢も検討したい所だ。(譜例6)。


譜例6


 マエストロはどうしてる?


 セゴビアは楽譜上の指示を無視している。まず冒頭をやや強めに弾くことで始まりました感を出しているし、メロディーをポルタメントで歌わせている。件の3小節目は、やや伸ばし気味ではあるが違和感、寸詰まり感を表している。4小節目3拍から5小節1拍目にかけては、やや音を引きずりながらクレシェンドしているが、5小節頭でfには達せず、逆に弱くしている。そして5小節目の最後の音にはたっぷりとヴィブラートをかけ、明らかにルバートしている。6小節から7小節にかけては>しながらritしているが、始まりのpは無視されやや強めに弾かれている(pからppへではなく、mfからpへ>している)。
 ここまでマエストロは極めて恣意的な演奏を繰り広げているわけだが、ではこれは駄目な演奏なのだろうか?


 作曲者が記した緩急強弱などは作曲者が演奏する際のプランとするならば、それが最上であるかは疑問が残る。特に作曲者が演奏しない場合は尚更だ。史上最高のギター奏者セゴビアの解釈には強い説得力がある。


 わずか7小節で面白過ぎる展開だ。次回を待たれよ。