あ〜さんの音工房

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『松のロマンス』を弾く#3

 

 8小節ー19小節は、主題の形を変えながら4回繰り返す。前記したように主題は3小節で括られているので、3×4=12小節である。今回は前半2回を取り上げる。



 前半2回は強めに弾くような指示がされている。8小節頭はmfでバスは8分音符で付けられているが、4分音符で弾くことが可能なので検討したい。10小節目まで<>の指示はないので、やや強目にはっきりと弾くべきなのか? 
 11小節頭には何の指示もないが、最後のF音にはスライドの記号があり、12小節頭のG音までポルタメントしてf せよとの指示だ。その後は何もないので強いまま弾くべきか?


 マエストロはどうしてる?


 この映像に限ったことではないが、演奏するセゴビアの姿は驚くほど自然体だ。どれほどダイナミックな演奏をしようとも、顔色ひとつ変わらない。そしてそれは若い頃から晩年まで変わることはなかった。
 なぜセゴビアの演奏がこれほどまでに人心を引きつけるのかだが、次の2つの要素が大きいのだと考えている。ひとつは「弱奏」だ。皆さんご存知のように、クラシックギターは強奏方向に制限のある楽器だ。なのでダイナミックレンジを広げようとするならば弱奏方向に拡大しなければならない。このギターの弱点とも言える本質を十全に使い切っているのがセゴビアだ。セゴビアほど弱奏を効果的かつ有効に表現している演奏は他に例を見ない。手元のオーパス111と言うレーベルにJesus Castro Balbi がバリオス作品を録音しているが、珍しいほど弱奏を多用している。ハマった際の演奏は見事なのだが、外した時の違和感は大きく、疑問を持たざるを得ないのが残念だ。Jesusと言えども「ギターに選ばれた」セゴビアの域には達していないのだ。
 もうひとつは「音色の使い分け」だ。美音で鳴らす奏者は幾人もいるが、セゴビアほど多彩な音色を音楽表現に使っているギター奏者はいない。一部では均一な音色で鳴らすことを良しとする向きもあるが(大音量を希求し改悪されたギターを使う層に多い)、甘くまろやかな音から鋭く尖った音まで表すことが可能なこの楽器の本質を見失っているとしか思えない。セゴビアに対するアンチテーゼなのかもしれないが、天に唾する愚行だろう。


 さて、前回の3小節目の扱いや、不可能な p>p を mf>p に置き換えるなどから、セゴビアは(当然ながら)楽譜を読み込んでおり、決して自分勝手な演奏をしているわけではないことが確認出来た。この6小節はどんな解釈をしているのか見て行こう。
 8小節頭は特に強めには弾かれておらず、3拍に向けてやや<しながら9小節頭の和音をmpとしている。主旋律はアポヤンドで弾かれ引きずり気味だ。そして10小節頭の和音にアクセントを置いている。
 繰り返し2回目は、11小節最後から12小節頭にかけて指示通り旋律をポルタメントしfに達している。そしてこのG音にはたっぷりとヴィブラートが与えられ、13小節の和音はやや弱く弾かれている。
 今回もマエストロは楽譜の指示と異なった演奏を繰り広げている。だが、前回同様強い説得力に満ちているのだ。フレーズの終わりの収束のしかたなど実に座りが良く、流石だ。


 今回の演奏困難ポイントは、ここだろう(譜例1)。


譜例1


 9小節最後の拍から10小節頭にかけて。この箇所はスムーズにGの和音に着地する為に、運指の変更をしたい(譜例2)。


譜例2


 15小節から16小節にかけても同様に変更する。運指は音色の都合により作曲者が指定している場合を除いては(この曲では4小節から5小節1拍目にかけて)その前後の関係、手のひらの幅、各指の長さ太さにより、各自で適切な方法を考えるべきである。楽譜に書き込むのは音符が見辛くなるので止めてもらいたいものだ。



 ここは選択肢が多くどう弾いたものか悩む。セゴビアくらいバランス良く和音を鳴らしたいものだが、難しい。じっくり考えたいターンだ。