あ〜さんの音工房

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『松のロマンス』を弾く#5

 

 再現部を見て行こう。4小節3拍目に付いていた松葉がなく、5小節頭のfも無い。終わりの和音はpからpppにされているなどニュアンスを変えて弾けと言うことらしい。主題ー展開ー再現の3部形式だが、A-B-AではなくA-B-A'にしろと言うことか?


 マエストロはどうしてる?


 主題の提示部よりも少し控えめに弾いて終ります感を出している。全体を鑑みての演奏だ。セゴビアは「俺様版」で演奏しているが、自分に忠実な演奏をしているだけなのかも。「俺はこの曲はこう弾くべきだと思う。作曲者のプランなど知ったことか」。
 私は手元の楽譜「GSP-73」に従っているが、緩急強弱や譜割は好きにさせてもらった。そもそも実現不可能な指示があるわけだし。最終的には「考えるな、感じろ」。


https://youtu.be/IGAiPGNx7R4


 録画は今回も『DSC-RX-100』だが、三脚を使った。実に便利だった。とても軽いので、大層な一眼レフは置きたくないが、軽いコンデジにはぴったり。音色も良く捉えている。


 セゴビアの演奏を細かく観たが、楽譜と違う演奏だと言う批判は必ずしも当たらないのだと解った。この曲に限らず、マエストロは自身が関わった(はず)楽譜ではなく、独自の「俺様版」を編んでいる可能性があるからだ。関わっていない場合も「俺様版」を編んでいるのだろう。楽譜を読み込んだ上であえて自分自身に忠実であろうとしているのだ。「違うな、こうあるべきだがな」などと思いながら演奏して良い結果に結びつく訳はないのである。唯我独尊を貫いたセゴビアは芸術家として真っ当であった。残された演奏の記録が全てを物語っている。
 今回セゴビアの研究をしながらこの曲に取り組んで本当に有意義だった。今後に活かしたいものだ。