あ〜さんの音工房

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再掲載祭り=2014年02月12日分 その3

夏の日のまぼろし

 

あれは今日のように晴れた日のことだった。

ぼくらは学校から帰るとすぐに集まって出かけた。

地元の夏祭りだというのにわざわざ隣り駅のそばにあった

卓球場まで行ったんだ。

よほど流行っていたんだろう。

ぼくらの周囲10メートルくらいだけで。

「もう帰ろうか?」

「あと1試合だけやろうよ」

少し空が赤みがかった頃の駅は

いつにも増して人が多いように思えた。

 

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すっかり陽が傾いて

ぽつりぽとりと火が灯りはじめた地元の商店街は

人でごった返していた。

夜はこれからだったが

前日から眠れない程楽しみにしている子供達には

待てるはずも無かった。

明日の分の小遣いを使い込んでしまって

両手が塞がっていても仕方のない事だ。

それは不意打ちだった。

ぼくらは友人達と合流しようと

バス停のそばの公園でたむろしていた。

「・・・あ~さん・・・・・」

ぼくは呼ばれた気がして振り返った。

すると、そこにはいるはずのない人が佇んでいた。

「ミー!ミーじゃないか!・・・何してんの?」

「祭りと聞いて遊びに来たよ!」

ミーとは5,6年生の時のクラスメイトだった。

仲良しだったんだ。

しかし彼は私立の中学に進学してしまった。

当然中学でも一緒だと思っていたから

受験すると聞いた時は驚いた。

卒業してからはすっかり疎遠になっていて

それ以来会っていなかった。

そんな彼が突然、連絡も無しに目の前に現れたのだ。

ぼくは少し訝しく思ったが

再会出来た喜びの方が勝っていたので気にはしなかった。

友人達には明日会おうと断って

この日は2人で楽しむ事にしたんだ。

祭りは土日の2日あったから。

この時の事は何故かとても朧げだ。

これほど不思議な祭りの日は他にはなかったはずなのに・・・

ぼくらはつい半年前と同じ様に

軽口を叩き合いながら

まるで朝の満員電車のような混乱の中をすり抜けて

2つの商店街を隅から隅まで歩き回り

全ての露店を見て回ったはずだ。

チョットだけ飲み食いしながらね。

 

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この日の事は先年までまるで忘れていた。

真冬ににドナドナされて行く

あの犬を見るまでは。

軽トラに小屋ごと乗せられ連れられて行く犬は

落ち着きがなく、怯えていた。

オロオロとするその犬と目が合った時

ぼくは何故かあの日のミーのことを思い起こした。

今思えば彼は進学先で困難にあっていたんだと思う。

誰一人知る者のいない入学式。

昨日のテレビの話題も話せない教室

五月病や梅雨で不登校になっていたのかも・・・?

夏祭りまでの間ずっと楽しかった小学校生活のことを

懐かしんでいたんじゃないのか?

腹回りの肉が気になる歳になった今なら

チットは気の利いたアドバイスが出来ただろうが

あの日のぼくは

そんな事思いもしなかった。

少しだけ不思議だったけれど。

 

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あの夏の日に一体何があったのだろう?

ぼくは逃げて来たミーと本当に一緒にいたのだろうか?

「あ~さん、昨日はずっと1人でしゃべってたよね?」

戻りたいというミーの気持ちが

ぼくにまぼろしを見せたんじゃないのか?

逆にミーに会いたいというぼくの思いが

こんな記憶を作り上げたのか?

いくら思い返してみても

2人でどう過ごしたのかは覚えていない。

思い出せるのはミーの薄らとした笑顔だけだ。

本当の事はもう分らない。

「ばば~い」

涼しい風が吹き出した頃

人の波に消えて行く彼を

ぼくは見送った。

それ以来ミーとは1度も会っていない。

 

 

 

 

 

 

 

凧揚げ

 

年が明けると

なぜか日々が早く進み、もう13日。

そろそろ関西でも正月飾りを外している事だろう。

今年も凧揚げしている子供を見なかったな。

河原で揚げ放題なんだけどな・・・

 

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竹の骨組みに紙を貼付けた

伝統的な凧は揚げるのが中々難しく

子供じゃ歯が立たない事も多かったから

お父さん達が大活躍。

上手い事風をつかんで高々と揚げる事が出来れば

おとうさん凄いと

子供達からキラキラとした目で見上げられること必至だったので

サンダル履きでお父さん達がハッスル、ハッスル。

その脇では子供達が凧を引きずりながら走り回って賑やか、賑やか。

私が子供の時分には

そこいら中の空き地で見られた正月の風景だった。

そんなある日、黒船襲来。

お父さんと子供達の生態系はものの見事に壊された。

ゲイラカイトの登場だ

とにかく揚がった。

子供でも揚げられた。

一晩にして日本中の市場を席巻した。

誰もがこの魔法の凧を揚げる様になると

今度は距離戦争が勃発。

どれだけ遠くまで飛ばせるかに関心が集まった。

もちろん私も挑戦したが高く揚がれば揚がるほど

まるでマグロの一本釣りをしているような引き応えがあったので

最後は体力勝負だった。

「おい、糸買って来い。持ってるから」

お父さん達も一体どこまで揚がるのか試してみたかったらしい。

ゲイラカイトブームの間は相当糸も売れた事だろう。

50だか80メートルだかの糸を繋いで繋いで

300メートルにもなろうかとした時だ。

急に手応えが無くなった。

糸の切れた凧はグルグル回る事無く

そのままの状態で小さくなり

やがて空の果てに消えた。

 

 

 

 

 

 

 

柱のある映画館

 

あの年の7月17日も

今日の様に蒸し暑い晴れた日だった。

商店街の街頭に備え付けられたテレビが

石原裕次郎の訃報を伝えていた。

 

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日活全盛期のスター俳優にして

戦後日本の寵児。

没後は昭和の象徴となった。

裕次郎主演作は半分程は観ているが

白黒からカラーに切り替わる頃の日本映画は

今観ても結構面白い。

没後あちこちの映画館で追悼上映をした時

私もこの機会に見てみようと

普段は出向かない館まで足を運んだ事がある。

今でも記憶に残っているのは池袋にあった某所だ。

その館は元はホールだったんだろう。

円柱が客席に立っている2階建てだった。

そしてなにより汚かった。

私が知っている映画館の中で間違いなくワースト1だ。

しかし、それが古い作品を観るのには

必ずしもマイナスには働かなかった。

逆に封切られた頃を彷彿とさせて悪くなかった。

客席も埋まっていて熱気があった。

当時エポックメイキングな作品だと

評判を呼んだと言う「太陽の季節」と(裕次郎のデビュー作)

ハッキリとは覚えていないが

「鷹と鷲」て奴だったような・・・船上で殴り合ってたと思う。

短期間に何本も観たんであやふやだ。

大体同じような話だったしね(笑)

太陽の季節」でボクシングのシーンがあるのだが

これが頂けなかったのはハッキリと覚えている。

当然「ロッキー」を知っていたので

なんと迫力の無い事よ、と嘆かわしかったな。

そして出演者は皆若かった。

これぞ戦後の映画スターて感じがしたな。

今じゃ長門くらいかな?

演じてる姿を拝めるのは(相棒にも出てただろ)

 

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客席に柱の有る映画館は他にもあった。

どこだか忘れてしまったが

「第三の男」を観たときの劇場にもあったし

銀座で「魔女の宅急便」を観た時にもあったはずだ。

しかし、この館には別に問題が有った。

この館はそれほど大きくはなかったが

小綺麗で感じは良かった。

問題は「音」だった。

とんでもなく長い残響が付いてしまっていたんだ。

速いパッセージには被ってしまうほどの長さだった。

とにかくセリフがボーボーしてしまい頂けなかった。

柱がある映画館はホール・劇場からの改装なんだと思う。

私が通っていた時分にはまだ

そんな映画館が残っていたんだ。

シネコン全盛のご時世だ。

あちこちで3Dだなんだ言ってるしな。

今じゃ、もうどこにも無いだろう。

客席に柱のある映画館なんて。

 

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何年か前の夏に

BS若大将特集をした時いくつか観たけど

意外な程面白かった。

勢い任せに作られた日本のスター映画って

なんだか祭りに参加しているような気分になれて

結構楽しめるんだよ。

今時の湾岸で事件です、みたいなの観に行くより

裕次郎や若大将を見返したいね、個人的には。