あ〜さんの音工房

アーカイブはこちら→http://akeyno.seesaa.net/

再掲載祭り=2014年02月13日分 その1

ゴローが行方不明、シロはもういない。

 

 「家守綺譚」の続きが時折「yomyom(ヨムヨム)」に掲載されている事は知ってはいたが、20号記念企画「読み切り小説20本をヨムヨム」に梨木も「ショウジョウバカマ」をもって参加していたので、この機会にと入手しておいたのは4月の終わりの事だった。なんだかんだで読まずにいて、つい先日ようやく読み始めたら、びっくり。学士綿貫の居候、間が良い事でお馴染みの賢犬ゴローが行方知れずになっていた。もう2ヶ月になるそうだ。

 この作品においてゴローはとても重要な位置づけになっている。掛け軸の中から当たり前のように現れる亡き友や、不思議極まりない草木達。そして河童や小鬼、人魚などのささやかな魑魅魍魎の数々。それらが自然と存在するこの世界では、犬がこのようであろうと不思議はない、または犬がこのようなら周りがあのようでもそれが当然と思わせる魅力に溢れている。ゴローの存在がリアルとファンタジーの橋渡しをしていると言っても良いだろう。そのゴローが行方不明とは何たる事だ。

 もう、お分かりのように私は犬が好きだ。かと言って猫が憎い訳では無い。憎からず思っている。人見知りでお馴染みの老猫ジャビも初対面ですり寄って来るくらいだから嫌われているわけでもない。私の犬好きはあの冬に知り合ったシロに因る所が大きいのだ。思い返してみれば。

 それは国道を横切ってやって来た。おじさんに何処の犬なのか聞くと「向かいの床屋のだ。時々やってくる。シロって名だ」と教えてくれた。今日は見掛けない子供達が騒いでいるので、何か良い事はないかと覗きに来たのだろう。いつもは静かな父親の実家は、この時ばかりは賑やかになった。

 シロはその名の通り白いふかふかの羊のような毛を纏った中型犬だ。とてもおとなしく、吠える事もない。妹たちがまとわりついても目を細めてじっとしている。すっかりアイドル犬となったシロは、次の日も、その次の日も足繁く通って来た。私達は大歓迎で相手をした。というか相手をしてもらったという方が正しいか。集合住宅で飼える生き物は小鳥やハムスターがせいぜいだったので、犬猫を飼いたがっていた妹はそれは喜んでいた。別に何をしたというわけではない。一緒にその辺を散歩してみたり、残飯を与えたり、撫で回してみたりしただけだったろう。それでも何だか楽しくて、別れの朝は大変名残惜しかった。記念に撮ってもらった写真を見ると、私が小学3年か4年生の時の事だった様だ。

 その写真に納まっていたのは老犬だった。その時は感じなかったが、かなりの齢を重ねている事は明らかだった。私はシロが何故あれほど静かで賢く振る舞えたのかを得心した。

 年が明けてからだったろうか。その電話があったのは。

 黒電話が下品なベルを響かせてシロの訃報を伝えた。国道を渡ろうとして撥ねられたのだそうだ。あの賑やかな子供達がまた来てはいないかと、心弾ませていたのだとしたら胸が痛む。私達と過ごした時間が老犬の良い想い出になっていて欲しいと願う。

 ゴロー不在の「家守綺譚」などアンガス・ヤングのいないAC/DCのようなものだが、主のいなくなった小屋の中にはショウジョウバカマの白い花が咲いていた。まさかゴローの生まれ変わりではなかろうが、次回ゴローの躯が見つからない事を願いたい。

 ゴローが行方不明。心配だ。

 

 

 

 

 

 

トカゲを飼ったことはない

 

 知り合いの家の軒先に小さな箱が置いてあった。

「いやんなっちゃう、トカゲが入っているのよ」

 空気穴を空けてある蓋を取って覗いてみたが、何枚か葉っぱが入っているだけだ。

「葉っぱの下にいるの」

 そっとめくり上げてみると茶色で横っ腹に黒いラインの入った地味なトカゲが、小さな体を更に小さくして申し訳無さそうに丸まっていた。ここの子達はトカゲが飼えて良いなと羨ましがってみると、この若いお母さんは気持ち悪いから外に置いているのだそうだ。

「本当にいやんなっちゃう」

 そう言われてもトカゲに興味を持たない男子などいるわけがない。ここん家の兄弟は実に正しい。

 まず見た目が恐竜っぽい。にも関わらず手のひらサイズだ。そして極めて機敏に動く。それだけでもKO必至なのに更にシッポが切れても生えて来ると聞かされてはたまらない。一体どんな風に生えて来るのだ?切れた部分から先端が出て来て長くなるにつれ太さが増すのか、それとも切れっぱなしのまま伸びて最後に細い先端になるのか・・・わくわくしない子供がいるだろうか?

 家の中に入れてやって座敷トカゲにすればいいのに、とからかってみたら「嫌だ、もう、やめてよ」

 そうだよな、飼えるだけ良いよ、たとえ軒先でも。

 もちろん私も飼いたいと陳情した事は有る。

 暖かくなると何処からともなくトカゲは這い出て来た。通学路である三徳山の、歩道橋まで続く僅かな坂道でもしきりと出くわした。大抵は保護色でブラウンやカーキだったが、たまに極彩色のまるで玉虫のようにギラギラとした色の輩も見掛けた。けばけばしい色合いの昆虫は大体毒を保っているので、きっとトカゲにも当てはまるのだろうと、それに手を出す事はなかったが、地味な奴は捕まえた。トカゲは機敏で捕獲が困難だったので獲る喜びを得られたし、その恐竜のミニチュアのような様子も魅力に溢れていたからだ。飼ってみたい。是非とも飼ってみたい。水辺の生き物用の水槽が空いている時には特にそう思った。あそこで飼える。しかし、母親のハードルは高い。

 ある時、やるだけやってみた。

 夕方、5時の鐘の音とともに、素知らぬ顔でただいまと帰り、パタパタとスリッパを鳴らして出迎える母親に出来るだけ申し訳無さそうに、尾の先だと暴れるだろうから根元の方をつまんで持ったトカゲを見せて、これ飼って良いかと聞いてみた。

「すぐに放して来なさい」

 僅かの間もなく眉をひそめた母親の口から出たのは、やはり例の指令だった。そんな気味の悪い物を家に置くなどもってのほかだ。出来る事なら捕獲した場所に、それが困難ならそれが暮らせそうな場所に今すぐ置いて来るように。それが答えだった。だろうと予測していたので落胆は少なかったが、やっぱりだ。

 軒先だろうとトカゲを飼えるなんて羨ましいことだ。もしもあの頃の私だったなら、やたらとお手伝いしたことだろう。2、3日くらいは。

 庭の草木をカサカサさせながら、今日もトカゲはその姿をチラつかせて、私を誘って来る。どこかに空の水槽はなかったろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

新宿コマがシネコンとホテルに

 

 再開発なんだとさ。実は新宿には縁がある。生まれたの東京医科大学病院らしいんだよ。覚えてないけどね。そう聞いている。

 歌舞伎町はね、中学生の頃から通っていた。映画館にだよ、如何わしいお店じゃなくてさ。町田から新宿まで小田急線一本で乗り換えなしで行けるので、良く出かけた。

 最初あの通りに足を踏み入れた時は驚いたよ。とにかく客引きが多いんだ。まだ規制の無い頃だったからね。行き交う人達も何か強力だったし。無法なアミューズメントパークみたいだったんだ。こりゃマズいってんで、次からは西武線沿いに迂回して行くことにした。本当に幼気な少年は歩けないくらい怖かったんだ。

 当時は噴水の周りだけで10館はあったよ、映画館。今は全然ないらしいけどね。そんなに怖けりゃよそで観ればいいと思うだろうけど、ここでしかやってない作品もあったんだ。シネマスクエア東急ってとこで単館ロードショーしてた。何度も通ったはずなんだけど、何を観たかは覚えてない。ただ、当時としては珍しく入れ替え制だったことだけは覚えているよ。他はそんなことなかったから朝から晩まで居られた。今じゃ考えられないことだ。

 帰りに市役所通りの方に抜けてみことがあったけど、そっちの方が客引きは強力だった。「兄ちゃん、いくら持ってんだよ」といきなり肩を組まれて「いや、持ってないです」と言ったら「楽しんでけよ、な」とそこら中バンバン叩かれたので「止めて下さい」と言って拒んだら「チッ、気取ってんじゃねーよ」と罵られた事がある。なんにも悪いことしてないのに通っただけでカツアゲまがいのことされたんだ。あの当時は本当に怖かったよ、歌舞伎町。ただ、もっと怖い街は別にあったけど。

 これも歌舞伎町のどこかだったと思うけど、ヤクザのおじさんとの楽しい想い出を思い出したよ。

 ゴッドファーザーPART2を観ていた時のことだ。8割方は席が埋まっていたんだけど、どうも誰かが煙草を吸っている様で煙い。見回してみたが見当たらないんで後ろを伺ってみると、当時の少しもゆったりとはしていない座席で大股を拡げながら煙草を吹かしているどう見ても堅気じゃないおじさんがいた。誰も何も言わないのに納得して映画を観終えた後、トイレに寄ったら中でそのおじさんと出くわしてしまった。出来るだけ自然な感じに振る舞っていたのに何故か「兄ちゃん、映画好きなのか?」と声をかけられてしまったんだ。逃げたら撃たれそうなんで「は、はい」と答えると「これ、やるよ」と映画の前売り券を2枚くれた。断ると撃たれそうだったので「すいません、いいんですか?」とおそるおそる受け取ると「こういうの趣味じゃねんだよな」と言い残してヤクザのおじさんは去って行った。その作品はビバリーヒルズコップだったとさ、めでたしめでたし。(実話)

 下北沢も駅前再開発で、小田急線も複々線化だとか地下に潜るだとか・・・梅ヶ丘駅ビルって! 変わるよねぇ、東京。迷子になる日もそう遠くなさそうだ。