あ〜さんの音工房

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再掲載祭り=2014年02月13日分 その3

霜柱

 

 はぁーと息を吐いて「怪獣だぞ」と言ってみたり、ふぅーと息を吐いて「タバコだよ」と言ってみたりしていたあの頃、東京は今よりもっと寒くて、年に数回は積もるほど雪が降った。だるま、かまくら、雪合戦。どこからかソリを持ち出す者もいて、解けてなくなる僅か数日を楽しんだものだった。あの頃外気温がどれくらいだったかは判りかねるが、吹雪いていようが遊んでいた。子供は風の子とはよく言ったものだ。

 ここ数日とても冷え込んでいる。朝には霜柱が出来ているくらいだ。

 

 山間の冬期は厳しい。霜柱も寒さを助長するだけ。手袋した指先が痛むし、耳は切れそうだし。白い息を吐いて怪獣だ、などとはとても言っていられない。

 こんな田舎でも道は舗装されているので霜柱は空き地や畑にしか出来ない。あの頃の東京は当然ながらコンクリートアスファルト。どこに霜柱が出来る余地があったのか? 歩道の脇の植木の根元や芝生に出来ていたのではないかと思う。真冬の朝、通学路の周りのそんなところを踏みながら登校した。音なのか、感触なのか、何が楽しかったのかは今となってはわからない。思えば私が育った頃の東京の郊外には、まだそこかしこに土があったのだ。木もあり森もあった。大人たちはどうだったかは知らないが、子供達にとってはありがたい環境だったなと改めて思う。

 

 ざく、ざく、ざくと霜柱を踏みしめながら、また明日も歩くとしよう。頭の先からつま先まで防寒アイテムで身を固めながら。

 

 

 

 

 

迷い亀

 

 コンクリートの歩道を亀が歩いていた。行く当てもないのか、のそのそとしている。まだ昼前だというのに薄暗い日だった。

「ち、こんなところに置き去りにしやがってよ」

 亀は縁日で買われたのだが、大きくなり過ぎたので今朝捨てられたのだった。今では大人の手のひらをはみ出すほどになっていた。

「取りあえず雨風しのげるとこを見つけないとな」

 見上げた真冬の曇天は今にも泣き出しそうに思えた。

 そこに足取りの軽い親子が通りかかった。子供の方は見るからに浮かれていて、地に足が着いていない様子だった。

「あ、亀だ。しょぼくれた亀が歩いてる」

 大きなお世話だ。亀は歩みを早めたが、すぐに追いつかれてしまった。子供はしばらくの間行ったり来たりしながら腰を折って観察していたが、両手で甲羅をつかむと持ち上げて言った。

「大きいね、おとうさん。けっこう重いよ」

 浮かれた子供め落としてくれるなよ、と思いながらも亀はされるがままになっていた。お腹も甲羅みたいだ、などといぢくり回されてから亀は歩道に戻された。

「飼っていい?」

 おいおい、もう少し自由にさせてくれよと思いながらも亀はほっと胸を撫で下ろした。どうやら食いっぱぐれずに済みそうだ。

 そう思ったのも束の間、亀は今は使われなくなった焼却場に連れて行かれると、大きな水色のコンテナを被されて中に閉じ込められたのだった。なにしやがんでい、連れてってくれよと亀は叫んだが成す術はなく、2人の足音が遠ざかって行くのをただただ見送るしかなかった。

 水色の空間の中で、亀は理不尽を呪った。俺は今後捨てられて拾われてをどれだけ繰り返すのだろう。かと言ってすっかり飼いならされてしまった身だ。野っ原に放り出されても困る。第一餌の獲り方がわからねぇ。気に入らないがどこかで飼われるしかないんだ。ちくしょう。それでもこの生臭い箱の中で死ぬよかマシか。

 足元のコンクリートから伝わる底知れぬ寒さに、亀は甲羅の内に身を沈めた。

 その頃、商店街のおもちゃ屋のショーケースの前にへばりついていた子供は、これだこれだと声を上げていた。ウルトラ警備隊スペシャルセット。浮かれていた原因がこれだった。随分前から交渉を重ね、ようやくこの日を迎えたのだった。

 子供は包んでもらったそれを胸の前に抱え、輪をかけてうきうきとして帰った。はらはらと雪が降り出していた。

 人が近づいて来る気配を感じて、亀はそろりと首を出した。コンテナが開かれると、さっきの親子が覗き込んでいた。

「いた、いたよ。飼っていいでしょ、飼うよ」

 親子は買い物している間に亀が逃げていなければ飼うことにする約束をしていたのだった。再び持ち上げられた亀は、ウルトラ警備隊スペシャルセットの上にのせられて拾われて行った。

 

 子供の水棲生物用水槽は亀には少しばかり狭かった。夏にはザリガニや蛙が入っている水槽だ。げぇ、この中に入るのかよと亀は減なりとした。それでも野天よりは過ごしやすかろうし、3食昼寝付きでたまにはベランダを散歩出来ると思えば悪くはないかと気を取り直した。

「捨てられたその日に拾われるとはまんざらでもねぇぜ。住めば都だと言うしな」

 亀は独りごちると、部屋の中に首だけ突っ込んでいる子供を見上げた。

「ねぇ、亀ってなに食べるんだろう? 金魚の餌でいいかな」

 やれやれ、前途多難のようだ。

 

 

 

 

 

B-612番の星

 

 その頃の下北沢は今のように様変わりする前で、まだタウンホールが珍しがられていた。再開発のさの字もなかった南口は、狭い道路に人が溢れ、戦後の名残の小店が軒を連ねていた。

 5軒あったか10軒あったか、駅周辺の中古レコード屋は。その内の3軒ほどに私は月に2回ほど通っていた。それは友人と待ち合わせて飲みに行く前だったり、買い物の帰りだったりしたが、あの日はまだ明るかったので休日だったのではないかと思う。

 行き付けの中古レコード屋に向かうべく南口を出て商店街を下って行く道すがら、私は何の気無しに古本屋に入った。当時はまだ読書は趣味にしておらず、レコード芸術と現代ギター、それに週刊プレイボーイを定期購読していたくらいだったが、たまには入って面白い本はないかと探してみたりしていた。確かこの店は漱石の初版復刻本が並んでいたことがあっただろう。この日は復刻本は見当たらなかったが、知った本が見た事のない形状で並んでいた。

 世界中で熱心な支持者を持つ「星の王子さま」は、当時私が読んで尚かつ所有していた数少ない書籍のひとつだったが、それは文庫本を縦長にしたくらいのサイズのはずだった。ところがその星の王子さまは絵本くらいの大判だったのだ。

 これは珍しい初めて見た。手元にある物とどんな違いがあるのだろう。単に文字が大きくなっているだけなのか? それとも何か仕掛けでもあるのだろうか? 私は興味津々で手に取った。丁度良いことに普通の星の王子さまも並んでいたので両方とも買って帰ることにした。

 いやぁ、とんだめっけもんだ。これだからたまには古本屋も覗かなくてはいけないなどと独りごちていると、足早に中年の男性が入って来た。その男性は一目散に向かった棚をまじまじと見ると「ない・・・ない」と2度呟いた。そして振り向き様に店主の元へ向かうと「あそこに星の王子さまがあったはずだ。売れたのか」と訊いた。

 どきりと心の臓を踊らせた私は、どうしたものかと思案した。古本は中古レコード同様見つけたらすぐに確保し、レジに向かうのが鉄則だ。後にしようとか、他を見てからまた来ようなどとしていると、必ず見当たらなくなってしまうものなのだ。

 その本はいくら探してもないぞ。ここにあるのだから。則を破ったのだから仕方あるまい。私はそう思いながらも生来の気弱と人の良さが抑えきれなかった。意を決した私は「これでしょうか」と声をかけた。まだ買ってはいないので良かったらと言うと、それでは遠慮なくと言う声を残して、男性は大判の星の王子さまと共にレジに向かい、来た時と同じように足早に去って行った。

 それはまるでこの本の中の天文学者が、1度見たきりで消えてしまった王子様の星「B-612番」のように、私の元に再び姿を現すことはなかった。物事はより強く欲した人の元に行くように出来ている。あの時の私には、どうしてもと言う熱意が不足していたのだ。

 数年後、山間に引きこもった私の元に1冊の本が届いた。

 あの日下北沢で手の中からこぼれ落ちた星の王子さまが「オリジナル版」として再び降臨したのだ。最新にして最良だと謳うオリジナル版は、なんと横書きで作者本人が描いた挿絵も元通り再現されているのだと言う。

 サン=テグジュペリフランス人なので、当然母国語で書かれたが、出版は疎開先のアメリカであった為、英語とフランス語で初版されたそうだ。いずれにせよ横書き可能な言語である事が幸いして、ここに日本語の初版復刻版が成立したのだ。後ろのページに2000年3月10日第1刷発行。同年7月19日第8刷発行と記されているので、早い段階で話題を呼んだ事が伺える。山で虫獲りしていた身では知る由もなかったので、送ってくれた人には感謝の他ない。それにしてもブログすらやっていなかった当時、この本が因縁の1冊であることをなぜ知っていたのかは謎だが、そのおかげで溜飲を下ろせた事は確かだ。あの時の大判がどんな代物だったにせよ、このオリジナル版に勝ることはないのだから。

 私の手のひらに現れて消えて行った物事は、大判の星の王子さまだけではなかったが、それで良かったのか、はたまた悪かったのかは今となっては判らない。替わりにより良い物が見つかる事もあったし、そこだけぽっかりと穴が空いてしまった事もあったのだから。

 これからもより強く欲しなければ消えてしまうのだろう。B-612番の星のように。