あ〜さんの音工房

アーカイブはこちら→http://akeyno.seesaa.net/

再掲載祭り=2014年02月15日分 その3

ニューヨーク・スケッチ 村治奏一 

 

ミュージカルナンバー「ピープル」で幕を開けるアルバム「ニューヨーク・スケッチ」には、ショービジネス絡みとジャズテイストを持つ全14曲が収められている。端的に言ってどこかで聴いた覚えがあるメロディか、そうでなくても耳に馴染みの良い曲ばかりなのだが、実に見事なコンセプトアルバムに仕上がっていると言えよう。

 

 村治奏一は多くの邦人がフランスに留学していた当時、敢えてアメリカを選んだ人だ。まずはボストン。そしてニューヨークで学んだ。特にニューヨークで暮らす日々での影響は大きく、多くの新しい経験や刺激を受けている。また同じアパートメントに住む若い芸術家の卵達との交流も他ジャンルに目を向ける切っ掛けになったようだ。自ら筆を執ったライナーノートの中で村治はこう語っている。

「多くの人種が共存するNew York の中にいて、僕が感じた様々な風景を音で表現しようとしたり、あるいは逆に音楽を奏でることで理想の風景を探し求めようとしたり、色々な思いと願いを込めながらこのアルバムができあがりました」と。

 そして、その目論みは成功している。

 ギターの為のオリジナル曲は7曲あるが、それらは2人の作曲家の作品で占められている。

 デュージャン・ボグダノヴィチの作品は若い演奏家からの支持が高く、演奏頻度も高い。「3つのアフリカン・スケッチズ」と「ジャズ・ソナチネ」は共に3楽章構成で90年代に書かれているが、ひとつの楽章が1分半から2分半程度と全体でも10分を大きく割り込んでいる。現代曲ではあるが難解さはまるでなく、双方とも小洒落た和声にはっきりとしたリズムとメロディが付けられているのが人気の所以だろう。

 一方、ニューヨーク生まれだと言うフレデリック・ハンドは、もっと知名度があって良い人だ。収められた4曲はどれも叙情性に満ち、まるでコンクリートの街角で不意に出会った1輪の花のように可憐だ。非常に日本人好みだと言え、村治がシンパシーを持ったのも頷ける。

 オリジナル、編曲作品共に初対面でもフレンドリーに迎え入れてくれる曲達であり、音符が迸るような瑞々しい演奏を聴くことが出来るだろう。万人を拒むことのないアルバムだ。

 録音は可も無く不可も無くだが、広くない場所で行われたようで残響を付加していると思われる。基本的にはマイクが奏者に近接しているので、それが友人宅でのプライベートな演奏を間近で聴いているような親密な気分を作り上げているとも言える。例えば、こんな風に。

 

 ***

 

 時刻は22時を回ったところだ。ニューヨーク滞在最後の夜に、友人と連絡が付いたのは幸いだった。

 もう2年ほど前になるだろうか。今回同様この地に出張した時のことだ。日本人と思われる青年が、立てかけたギターケースの傍らでビルに寄りかかりながらハンバーガーにかぶりついているのを見掛けた。なんて街に馴染んでいるのだろう。現地の米国人なのかと思ったが、顔はどう見ても日本人だ。私は日本の方ですか、と日本語で声をかけてみた。

「ええ、日本人です」と彼。

 失礼だが、あなたはギタリストなのかと訊くと

「そうなるべく勉強中です」と答えた。

 実は私も趣味で弾いている。留学中なのか、誰に師事しているのか、どんな楽器を使っているのかなど一頻り話し込んだ私達は連絡先を交換して別れた。

 その晩、私は彼を食事に誘った。日本のこと、ニューヨークのこと、ギターのこと、音楽のこと・・・デザートのアップルパイは少しばかり甘過ぎたけれど、驚くほど美味いオムレツを出すウエストサイドのダイナーで、空が白み始めるまで話は尽きなかった。

 

「いらっしゃい。お久しぶりです」

 2年前と変わらぬ笑顔で彼は手を差し出して、殺風景なのを詫びながら部屋の中へ私を招き入れてくれた。

 物のない部屋だった。ギターと譜面台の他はローテーブルとチェア、それに机とベッド。オーディオやテレビはなく、音の出る物と言えば卓上のノートPCと出窓に置かれているラジオだけだ。

「部屋にいるほとんどの時間は弾いていますからね。楽譜を読んでいる時にラジオ流しているくらいですかね」

 留学生の身分とは言え随分とストイックなことだ。

 このアパートメントには音楽家の卵が多くいるらしく、今もどこからかチェロの音が聴こえて来ている。たまには髪の長いチェロでも歌わせているんじゃないのかと思ったが、口には出さなかった。どうも年をとると品が無くなって困る。

「飲んでも大丈夫ですよね」

 彼はグラスと共に1本のワインを運んで来た。

「安物ですけど、なかなかいけますよ」

 見たこともない銘柄のそれは、侮れない香りとコクを備えていた。

 つまみにと出されたのは数種類のチーズだったが、臭いのキツい物が苦手な私は、そうでない物を選んでかじった。

 1杯目を飲み終えるまで私達は近況報告に花を咲かせていたが、そうそう近々クラスで発表会があるのだと言うと、彼は立ち上がってギターを取り出した。良く手入れされたハウザー2世だ。低音が控えめで、どちらかと言うとハイバランス。音色は良く通り、澄んでいる。彼に似合いの楽器だった。

 調弦を終えると彼はゆっくりと弾きだした。「ピープル」だ。バーブラ・ストライサンドが歌っている映画を観たことがあった。そして、それが小一時間に及ぶプライベートコンサートの幕開けだった。ニューヨークの夜はメロウなソウルミュージックに限ると思っていたが、どうしてどうして、ギターで奏でるミュージカルナンバーもまた乙な物じゃないか。ただし弾き手を選ぶけれど。

 次の曲の和音が踊り始めるのを耳にしながら、私は2杯めの安ワインを喉に流しこんだ。

 

 ***

 

 '05年の村治奏一だからこそ成し得た、実り豊かな果実がここにある。

 

f:id:akeyno:20190120142259j:plain

 

 NEW YORK SKETCHES / SOICHI MURAJI  VICC-60444