あ〜さんの音工房

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再掲載祭り=2014年02月16日分

 

続けるということ 

 

 今年最初のN響アワー竹澤恭子が登場してシベリウス協奏曲を弾いていた。シベリウスは1曲しかバイオリンの為の協奏曲を書かなかったが、それはこの曲を越えられなかったからだ、という推測は外れてはいないだろう。たとえ第6交響曲交響詩フィンランデァ、そしてこの曲しか残さなかったとしても作曲家の名は未来永劫忘れ去られることはないのだから。

 竹澤は1997年6月7日の同曲の演奏が同番組で放送されているが、比べ物にならないほど今回の2011年9月10日の演奏は感銘深いものだった。弾き続けるとはこういうことなのか。

 8ミリテープに保存してあったそれを引っ張りだして観てみたが、'97年の演奏も悪くはなかった。この演奏者の特徴でもある攻撃的な様はハッキリと見て取れるが、それ故に若干の荒々しさがあったことも事実だ。技術的にも困難であろうこの曲に挑むかのような演奏であったといえるだろう。デュトワの指揮も悪くない。

 それに比べるとブロムシュテットが指揮する'11年のN響はバイオリンが両翼配置になっていたが、独奏者は冒頭から高い集中力を持って曲を支配していた。それはこの曲を自家薬籠中のものとしている自信からか、まるで高い位置から俯瞰しているかのような、そんな演奏だった。確信と余裕を持って紡ぎだされたそれは14年を越える歳月がもたらしたことは確かだろう。円熟と呼ぶべきなのかは分らないが、それをテレビ放送で多くの好楽家に示すことが出来たことは彼女にとっても幸いなことだったろうと思う。N響も素晴らしく放送局付きオケの最高峰である事を再認識出来る。バロックから現代まで何やらせても本当に見事だ。意外なほどシベリウスを演奏出来るオケは少ないのだ。能天気なシカゴとか何をしたいのか不明なドイツの放送響ではとても独奏者に太刀打ち出来なかっただろう。

 それにしてもバイオリン協奏曲の独奏者はつくづく凄いと思う。オーケスラの20人からのバイオリン奏者を背負って弾くのだから恐れ入る。N響などトップ奏者の集まりだ。考え方によっては20人の審査員の前で弾くようなものなのだから恐怖におののく事はないのだろうか? 竹澤も勿論だが独奏者はほぼ間違いなくコンクール出身者なので、とうに慣れてしまったか・・・が、過酷な現場だと思わざるを得ない。

 しかし樫本大進の転身には驚いた。コンクールを荒し回って10代で独奏者としてデビューしたはずだが、いつの間にかベルリンフィルコンサートマスターに収まっていた。このオケのコンマスになった日本人は樫本が初めてではないし、どんな事情があったのか知る由もないが、独奏者であり続ける事は困難を極めるという事なのだろう。恐ろしい職業だ。

 幸いな事に竹澤は伝統を誇る(あのハイフェッツと同じ)RCAレッドシールとの録音を継続しているようだし、演奏する機会も多くあるようなので今後も増々活躍が期待されるけれど。

 こんな事が人間に可能なのかという驚きと感銘を贈るのが芸術の力ならば、危機的な時勢にこそ求められるはず。戦時中のヨーロッパでは爆撃音が響く中でも演奏会は開かれたし、沈み行く豪華客船でも楽士は波に飲まれるまで演奏を続けたらしい。原子力の平和利用に失敗した後の復興特需にハイエナのように群がるゼネコンや、保険金目当てに人を殺めているのも同じ人間だと思うと甚だ残念だが、芸術に携わるみなさんには是非とも奮起願いたい。また文化芸術を生み出し享受出来る世の中であって欲しい。人間って素晴らしいと思える存在のはずだ。

 私も今年で5年を迎える事になる当ブログを続けてみようと思う。続けることで尊い実を結ぶ事があるかもしれないから。続けなければ何も起きはしないのだから。