あ〜さんの音工房

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再掲載祭り=2014年02月17日分

違和感のある街並

 

世界ふれあい街歩き」を観ていると

諸国には何故あれほど古い建物が残っているのかと

(そして、そこに住めているのかと)不思議に思うことが多々ある。

所によっては街なかに「遺跡」が

そびえ立っていることも珍しくはないが

まるでそこにあるのが当たり前のような佇まいで

古と同じように人々の日常を迎え入れている。

紹介される建物の元々の想定から離れた使用のされ方も興味深いが

数百年に渡り住居であり続けている「家」は

その風格に圧倒される事が多い。

日本の家屋が残っていない最大の理由は木造であることだろうが

神社仏閣を思えば必ずしも当たらないのか、とも思う。

 

いつぞや横浜を訪れた折り

あちこちと歩いて回った事があった。

名所巡りよろしく

港の見える丘公園赤レンガ倉庫にまで足を伸ばしたと記憶しているが

(確か道路整備の工事をしていたように思う)

ある教会を見下ろす山の手を歩いていた時

とても日本的で残念な風景に出会ってしまった。

道路を挟んだ向かいに小洒落た家々が並んでいたが

私の生涯賃金を持ってしても土地は無論上屋さえ手にする事は出来ないだろう

それぞれが個性を放つ住宅の輪の中に

ただ一軒だけプレハブ住宅が建っていたのだ。

なんちゃらハウス的なあれだ。

どう見ても坪80万はかけている両隣に挟まれて驚くほど浮いていた。

あからさまに景観を壊していた、と言っても良いだろう。

かつて一億総中流幻想に取り憑かれていたこの国の人々は

その多くが出来が良く、それでいて安価なプレハブ住宅に住んでいる。

エコノミー症候群になりかねない矮小な企画に準じたサイズで

下請けのそのまた下請けが加工した材料を

まるでプラモデルのように組み合わせて出来上がるそれは

レンガや石に似せた外観を持った外壁材から

如何わしい雰囲気を漂わせているのだ。

建築の過程を(組み立ての工程と呼ぶべきか?)

目にする事は何度もあったが(現在も窓から見える)

あれではどれだけ精魂込めようが100年単位では保たないだろうと

思わざるを得ない。

第一あれでは精魂込めようがない、とも思う。

エコ住宅だかなんだか知らないが

居住者を替えながらも数百年あり続ける石造りの家の方が

僅か2世代で大規模な補修を行なわなければ存続し得ないプレハブ住宅よりも

よほどエコな存在だ、と言わざるを得ないだろう。

脈々と受け継がれていたはずの職人魂はどこへ消え去ったのか?

もはや宮大工にしか無いものなのだろうか・・・

私の家の近所に建っていれば何の違和感もないなんちゃらハウスだったが

その場所では誰の目にも違和感を与えていた。

「土地は買えたが建物まではかけられなかったのかな・・・」

私の呟きに連れは

「そうね、そうかもしれない」と応じたが

暖かな日差しを受けながらの散策

なにやら水を刺されたような心持ちになったのを覚えている。

やがて被災地にもエコで見た目の良いそれが建つのだろう。

そして復興象徴として紹介される日が来るのかも知れない。

その時私はホッとする同時に

少しばかり恥ずかしいと思いながら

その街並を見つめる事になるだろう。