あ〜さんの音工房

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再掲載祭り=2014年03月15日分

ブランコ

 

 子供たちの楽しみを奪う光景だ。

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 怪我をした子がいたのだろう、きっと。それは、かすり傷程度のものだったのかもしれない。大惨事だったなら、丸ごと撤去されていただろうから。もしかすると、予防策なのかもしれない。気を利かせた大人が、事故が起きる前にと提案したのかも。いずれにせよ減なりとせざるを得ない光景だ。

 小学生の私が、3席並列ブランコを与えられたなら、こんな事をして遊んだだろう。

 

 3人で並んで乗り、あれこれおしゃべり。

 靴を飛ばして、距離を競う。(ついでに天気予報もしてみる)

 ブランコから飛び出し、誰が一番遠くに飛べるか競う。

 チェーンを捻って、ぐるぐる回る、などなど。

 

 遊びに関しての子供の想像力・行動力は計り知れないものだ。たとえ画像のような予防策をとっていたとしても、コンクリートの壁面側に飛んで(画像手前に向かって漕ぐと思い込んでいるのは大人だけ)頭をしこたま打ちつけたり、上に巻いているチェーンに掴まって遊んでいるうちに首を引っかけてしまう可能性は残るのだ。さらには大人たちの想像の及ばない事態も。

 そもそも子供たちは遊びの最中に怪我をしてはいけないのだろうか? 家の中の階段でも、踏み外してスネを打ったり、上から落ちれば死ぬ事だって有り得る。では、昇り降りの際、親はその都度子供を抱き上げて危機回避しているのか? そんな家庭はないだろう。一歩外に出ればアスファルトの道で転べば手足を擦りむくし、自転車で事故れば血だらけだ。

 危険を排除されて育った子供は、不幸なのではなかろうか。私は知的障害を持つ人と関わりを持った事がある。出来ない事は手助けをするが、出来る事もやってしまいがちだ。時間の短縮や、危険を回避するために。なのでその人たちの経験値は全く上がらないのだ。出来る事はやらせたいのは山々なのだが、何かあったら責任問題になるので、そうさせられないのだそうだ。

 同じ事を健全な子供たちにするべきではないと私は思う。大人たちは画像のような処置をする前に、ブランコの危険性を子供たちに説明したのだろうか? それをせずにこうした大人は愚かだし、したのだとすれば子供を全く信用していないどころか、馬鹿にしているとしか思えない。これは極端な例だが、ブランコで遊んでいて、目の下から口の端まで裂けて、何十針も縫った同級生がいたが(実話)だからって、そのブランコが撤去されることはなかった。今なら更地にされるだろう。

 

 なぜ、子供たちはこれほどまでに過保護にされるのか? 理由のひとつは『子供は地域で育てましょう』という風潮にあるのではないだろうか。

 例えば、近所の子供が人を殺めたとして、私に責任が問えるのか。地域の学校でいじめが原因の自殺(集団による殺人)が起きたとして、私に何の責任が負えるのか。責任は本人と親がとるべきもので、私に押し付けられても困る。子供たちの教育費を税金で負担しようというのなら異を唱えるものではないが(多かれ少なかれそうなっている)他人の子育てには踏み込んで行けないのが実情だ。

 以前、近所で虐待されている子供がいた。その親が、その子の頭を首がもげるほどの勢いで殴るのを目の当たりにしていたし(複数回)、その子が真冬の深夜に裸足で泣きながら家を飛び出したのを見た事もあった。私は悩んだ。その子を自分の子供のように思うのなら、通報して然るべきだが、子育てに口出さないでくれませんか、躾ですからと関西なまりで言われれば、それまでだからだ。そして、通報することによって『子供は地域で育てましょう』運動から弾かれることになるだろう。「余計な事しやがって」と。

 山間の辺境だ。ただでさえ隠避体質は強い。飛沫感染する2類感染症が発生したときも箝口令が敷かれたし(関係者全員がレントゲン検査し、患者以外は事なきを得た)、官製談合も公然と行われている。なので馬鹿なことが次々と起こるのだ。

 今年度の初め、自治会でこんな通達があった。「大雪が降ったらA地点からB地点までの歩道を、我々で除雪します」。1キロはある距離の歩道を、歩いて通学している中学生たちが出かける前に、手作業で雪かきすると言うのだ。しかもそれを区長から言われて、鵜呑みにして来たのだと言う。我々の生活に直接関わる問題だ。しかもその歩道は、この地区とは関わりがないほど遠い場所なのだ。自治会長は持ち帰って、自治会で話し合うべきだったろう。なにが「子供たちの為です、地域の皆でがんばりましょう」だ。馬鹿過ぎて何も言えなかった。

 元気の有り余っている中学生が歩行困難なほどの積雪が起きた場合(当然車道は除雪するので)車で送るべき。そして、それは学校・行政と親が行うべき事だ。仮に我々5-10人ほどで除雪するとして、何時間かかる? 8時までに完了させるとして、何時から始めるのだ。6時か?5時か?3時か? なるべく早く始めたいが、早過ぎても除雪したはじから再び積もってしまうので無意味だ。大雪で仕事にならない農家なら一晩中でも体力の保つ限り出来ない事も無いだろうが、月給取りはそうは行かない。仕事場に着いたら着いたでそこでも除雪が待っているのだから。大体雪をどこに置くのだ。除雪とは、邪魔になる場所の雪を邪魔にならない場所へ移動する行為だ。歩道の片側は車道だ。そちらには置けない。だが反対側は民家なのだからそちらへも置けない。こんなこと出来るわけが無いんだ。そもそも家から出るのが困難なほどのとんでもない大雪の場合、休校にするべきではないのか。

 では先の大雪でどうなったか? 2-3日後、土建業者がユンボで掘って、ダンプに積んで運んだ。それが正解だ。こんな解りきったことを地区の偉いさんや、自治会長にいちいち説明しなければならないのか。間違った『子供は地域で育てましょう』運動には、甚だ辟易とする。

 大人たちは子供のためを思うあまり、馬鹿な事ばかりしている。間違っていると私は思う。だが、これらは、少数意見でしかないらしいので、どれほど声を上げようが、認められる事はないのだ。そして、私が目にしたこの画像の光景は、荒んだ人心と疲弊したこの国を映し出しているように思えてならない。

 風に吹かれて小さく揺れるこのブランコで遊ぶ子供を見た事は、1度も無い。