あ〜さんの音工房

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再掲載祭り=2014年07月01日分

去る者を追えず、来る者に気付かず

 

「今日の放送では、これまでの足跡を振り返りたいと思います」

 1991年第1回放送の、記念すべき1曲目が流れ終わると酒井康氏は言った。何故今振り返るのか不思議に思いはしたが、あまり気に留めもせずにベッドの中で聴き進めていると、やがて今回を持って番組終了だとアナウンスされた。私ははっとして暗闇の中で目を開いたが、その理由は次のようなものだった。

 

 この番組『Heavy Metal Syndicate ヘヴィメタルシンジケート』は週1回収録・放送の録音番組である。従って速報性に欠け、インターネットの普及が著しい現在、情報番組としては成り立っていないのではないのか、という疑念を持つに至った事。

 次に『3・11』以降数名の古参リスナーのメール等が途絶えてしまった事に言及していた。「単につまんなくなったんで聴かれなくなっただけかも」とおどけてみせた酒井氏であるが、繊細なメンタルを持つ氏は、あれこれと考え込んでしまったらしい。

 そしてここ数年立て続けに届いた、懇意にしていたミュージシャン達の訃報が(またそれを伝えなければならなかった事が)本人のモチベーションを落としてしまったようだ。ゲイリー・ムーアジョン・ロード、ロニー・ディオ・・・友人でも何でもない私でさえ凹んだのだから、親交の厚かった酒井氏の心情は察するに余りある。 

 日曜の深夜にこの番組を聴きながら眠りにつくのが習慣であったが、それも先週で終わってしまった。終了の理由に納得出来るので(他にも大人の事情があったのでしょうが)再開を希望する事は出来ないが、不定期で良いからネット放送を試みてはどうだろうか。自身が取材した折りの動画などを流せれば、雑誌やラジオでは出来なかった有意義な放送が期待出来そうだが・・・。

 またひとつ有り難いラジオ番組が終了してしまい、残念この上ない。これで私が電波で聴取していたラジオ番組は、全てなくなってしまった。

 

 その日の夕刻の事だった。いつの間にやらアクセス可能な局数が増えていた『radiko』を開いてみると、ラジオ日本の『日曜えぴきゅりあん』という番組名に目が止まった。『宮川賢の』と冠がついていたからだ。丁度始まったばかりだったのでクリックしてみると、確かにあの宮川氏が喋っている。私に断り無くいつからやっているんだ、などと愚痴りながら聴き進めて行くと、どうもこの番組は『バツラジ』臭が漂っている。

バツラジ』とは、かつてTBSでウィークデーの0時ー1時で放送していた宮川氏がパーソナリティを務めていたラジオ番組で「ニュースいぢり」を掲げていた面白バラエティーだ。ジャンルに囚われる事なく時事ネタを「ホントはこうなんじゃねえの」と、いぢりまくる宮川氏の毒舌が冴え渡る痛快な番組で、毎晩楽しみだった。

 

 そういえば宮川氏はかつてこんなことを言っていた。

 

http://akeyno.seesaa.net/article/390791686.html

 

『日曜えぴきゅりあん』とは、この時構想していただろう少数精鋭のスタッフによる低予算番組ではないのか? 3時間に及ぶ長尺番組であることもそれを裏付けてはいないだろうか?

 この番組は2013年4月から放送しているようで『radiko』で聴取可能にならなければ聴きようがなかったとは言え、1年以上気が付かなかった自分にがっかりだ。とはいえ次週から楽しみが増えた。ありがたいことだ。

 

 先日ふとしたことから『FMシアター』の板を覗いたのだが、序盤は有意義ですらあったのに途中からは荒れ放題だった。やはりネット板は悪意の固まりだ、しょーもない事だと思っていると「ラジオがお友達のおじさんは残念www」的な書き込みを見つけた。とんだ暴言だが、若者には我々おじさん達がどれほどラジオから恩恵を受けて来たか知る由もないのだろう。

 私達は現在のように誰かが不法に動画サイトに上げたラジオ番組を、自分の都合の良い時に聴いていた訳では無い。放送開始時間に、万難を排して電波が届く場に身を置き、リアルタイムで楽しみを共有していたのだ。パーソナリティのトークに酔い、聴いた事もなかった音楽に出会ったのだ。ラジオを聴く事に対する熱量が当時と今とでは比較にならないほどに違うのだ。

 そんなおじさん達からしてみると、パソコンにかじり付き、悪意の書き込みをしている若者の方がよほど残念だ。きっと外にいる時もスマホのディスプレイに見入っているのだろう。以前にも書いたが、街中を見渡してみて欲しい。多くの人々が俯いていないだろうか? こんな光景は異様だ。この国に2度と日が昇らないのではないかと不安になるくらいに異様な光景だ。この人達はここにいるが、ここにはいないのだから。

 

 技術の進歩を妨げる事は出来ないが、それの虜になった人々が不幸になってしまっては本末転倒だ。『3・11』以降どこかで歯止めをかけるべきと多くの人が考えてはいるが、どうにもならない状況でもある。与党のやりたい放題でこの国はどこへ行くのやら。

 

 ラジオがお友達のおじさん達は、誰に何と言われようがラジオを聴き続けるのであった。なんか文句あるか。