あ〜さんの音工房

アーカイブはこちら→http://akeyno.seesaa.net/

再掲載祭り=2015年02月28日分

'15 ・2月の索引

 

 あの昔話は昨年どころかもっと前に思い出していたけれど、なかなか筆を執る気になれず今回やっと書き上げたものだ。だからといってカタルシスが訪れるでもなく、清々しい気分になることもなかったが、例によって記憶はあやふやなようだ。「真冬の寒い日」で「遠くで雷」は矛盾しているんじゃなかろうか。ゴロゴロしていた気がしなくもないんだが・・・。

 それにしても探し物をしているうちに楽典を勉強したノートが出て来て、それが『ジョルナ』に絡んでいようとは。不思議だったな。おかげで謎が解けた。

 クラシックギターを始めて半年足らずでデュオを組んで活動していた。『ラグリマ』を練習しているような頃から一緒にやらないかと誘われていたのだ。自作と自編曲をやろうと提案されていて、それは楽しそうだと私はその話に乗った。

 

 だが考えてみるといろいろおかしい。なぜ楽器屋の雇われ店長が何処の馬の骨かしれない私を誘ったのかは置いておくとしても、クラシックギターの二重奏を見た事も聴い

た事もない段階で、自作と自編曲をやってみようと思ったのは尋常ではないだろう。普通はそんな無謀なことはしない。きっとこの時の私は以前に独学したことを試してみる良い機会だと捉えたのではないだろうか。2つのギターで『ジョルナ』のノートに書き付けたことを実習してみたかったのだ。実際にこの2人は自作と自編曲のみのプログラムでステージに立っている。今にして思えば、行き当たりばったりで現物合わせな性格が仕出かしたとしか言いようがない。とても楽しかったけどね。

 

 長くなった『ポール・アダムとオールド・ヴァイオリンの話』を読み返してみて思うに、論点が迷子なんじゃなかろうか。途中から『良い音』について書きたくなったんじゃないのか? 今度はそこに絞って書いてみようかと思う。解り易く、簡潔に、長くなりすぎないように。

 読書もしているが、ポール・アダムの『ヴァイオリン職人と天才音楽家の秘密』は届いているんだけど、まだ読んでいない。思う所あって既読の短編を読み返している。藤原伊織の『雪が降る』と志水辰夫の『いまひとたびの』だが、それぞれに良さがあるね。やはりこの2人は好きだ。実におじさん向けで良い。特に『いまひとたびの』は沁みる。落涙する。今後も読み返すことになるだろう。合間に池沢夏樹の『きみが住む星』もちらちらと見ている。以前パロディしたやつだ。

 

f:id:akeyno:20190120183653j:plain

 

 夕焼けラバーズ

 

 夕日を追いかけるように鳥の群れが飛び立って、西の空に消えて行った。

 夕焼けは下品だと言って見向きもしない人がいるけれど、ぼくはそうは思わない。夕焼けは楽しかった日も、そうでなかった日も、振り返らずに明日へと歩を進める為の送り火なのだから。

 夕日は赤く染める。長い影を引きずった子供たちが手をつないで帰る道を。仕事が終わって飲みに繰り出す大人たちの背中を。恋人たちが待ち合わせの場所へ急ぐ車窓を。ぼくにはそれらが、とても愛しく思えるんだ。

 あの日ブランコに揺られながら見た茜色の空を、この夕景を見ながら思い出したよ。きみはまだ覚えているだろうか?

 今度ゆっくり逢いたいな。また書くよ。

 

                  バイバイ

 

 

 エルンスト・ハースの写真に寄り添った手紙の形をした単文。旅立った男が世界を見聞して女の元に送る。なぜだか急にあれこれ読み返して見たくなったんだ。ポール・アダムの著作に触発されて、何か書いてみたくなっているのかも。

 

 さて来月はマイケル様の新譜が発表される。お布施の用意をしなければならないな。楽しみだ。