あ〜さんの音工房

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櫻井さん、そこを押さえなくちゃ。

 

 テレビ放送された『名探偵コナン 絶海の探偵』を観たけど、まあまあだったね。『相棒』でお馴染みの櫻井武晴が脚本を書いていたが、最高ではなかった。多くのコナンファンも「あれ」が不十分だったので、しっくり来なかったのではないだろうか。


 劇場版『名探偵コナン』はテレビシリーズの設定はそのままに、映画用に新たに書き下ろしたオリジナルの脚本を採用している。他のアニメでこの方式でもっとも成功したのが『カリオストロの城』と『ビューティフル・ドリーマー』であることに異論はないだろう。テレビシリーズの設定や世界観を引き継ぎ、さらに飛躍させ、言いたい事を言い、やりたい事をやりながらも、エンタテインメントに仕上げる事に成功した見事な作品だ。
 今回観た『絶海の探偵』は、イージス艦に体験試乗していたコナン一行が事件に遭遇するいつも通りの巻き込まれ型の展開なのだが、舞台がイージス艦に限定されているので、これまでの劇場版のようなスケールに欠けている。ならば狭所特有の焦燥感などが描かれているか(例えば潜水艦物などのように)というとそれもない。カーチェイスやスケボーで縦横無尽に駆け回ることも当然ない。それらに取って代わるなにかが欠けていると思えた。そして、なにより恒例の「あれ」が描き切れていなかったのが残念であり、しっくり来なかった原因だろう。


 劇場版コナンの基本プロットは、王子様が姫様を助けるという極めて単純で古典的なものだ。窮地に陥った姫(コナンの幼なじみ毛利蘭のことですが)を、王子(江戸川コナン・・・探偵さ、のことですが)が、様々な困難を推理やマンガらしいメカを駆使して、最終的には見事に救出し「バーロー、オメーのこと守るって言ったろ」と大団円を迎えるのが基本だ。この作品でも同じように姫は大海原に投げ出されて生死を彷徨う。だが王子は直接救出には向かえないのだ。ここが問題。子供なので救出ヘリには同乗させてもらえないし(小学1年生の設定)、救命ボートで出ることもない。ただただ艦橋で、初めの20分で提示されていたヒントをたぐり寄せ、頭を使うのみ。それらをどう演出しようとダイナミックに表現出来るわけはないし、消化不良になるのは必然だろう。
 櫻井氏ともあろう者が何故そうしたのかだが、あえてそうしたのだと考えるべきなのか。これまでのように直接助けには行けないが、2人の間の強い絆は離れていても変わらないよ、的なことを表してみたのか? 今回のシチュエーションだと、そうするしかないのだが。例え救助ヘリに王子を乗せても姫を直接助けるのは救命士になってしまうから乗せる意味はないし、救命ボートを漕いで行く時間もない。もちろん泳ぐなんて持っての他だ。なのでイージス艦に留まっているわけだが、ただ頭働かせてるだけってのはやはり弱いと言わざるを得ない。それで2人の絆を深く描けたわけでもないしね。
 『名探偵コナン』は女性から多くの支持を得ているそうだが、理由はハッキリとしている。上記した「あれ」とは、王子様が「バーロー、待ってろ。俺が必ず守ってやるぜ!」とばかりに、観ている女性達が感情移入しまくっている姫様を助けに向かうクライマックスであり、なんなら傷だらけの血まみれで、足を引きずりながら(そのようなシーンがこれまでの劇場版にあったのか定かではありませんが)姫様の元へ辿り着き、「待たせたな」とお姫様をお姫様抱っこするのに女性達は痺れるのだ(王子は小1なのでお姫様抱っこするシーンはないと思いますが、気持ち的にはそういうこと)。なので、それがなかった(助けるが直接ではない)『絶海の探偵』は、いつも通りにハッピーエンドなのにも関わらず、しっくり来ないのだ。コナン映画ならば、そこを押さえないと。汗ひとつかかないヒーローなんて、魅力ないもんね。あれこれ人に指示するが上手く行かなくて「わぁー」と叫ぶコナンの姿なんて、観たくなかったろ? やっぱ、血まみれでお姫様抱っこだよな。


 これまでに観た劇場版コナンでは(全てを観てはいませんが)『ベーカー街の亡霊』が印象に残っている。脳内世界と現実世界を対比させながら、本家本元コナン・ドイルの描いたシャーロック・ホームズの世界でコナン一行が大活躍するとても良く出来た話だ。脚本は野沢尚。もう1本リゾートホテルをテロリストが占拠する作品も楽しんだ覚えがあるが、余りに昔の事でタイトルは失念した。


 映画は脚本ですよ、やっぱりね。イージス艦でスパイ物はコナン向きではなかったのかも。『相棒』向きでもないけどね。これからも櫻井氏には期待しつつ筆を置くことにしよう。


 アニメだろうが何だろうが、面白そうな物は楽しんじゃうんだぜ。真実はいつもひとつ!