あ〜さんの音工房

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ネット上に無くても

 


 先日、夜に(と言っても19時前でしたが)電話がかかって来た。眼鏡が出来上がったのだと思い受話器を取ったが、違った。


「恐れ入りますが、あ〜さん様のお宅でよろしかったでしょうか?」。如何にも、あ〜さんですが何か。
「親父様はご在宅でしょうか?」。親父はとっくに鬼籍に入っていますが。
「はぁー、そうでございましたか・・・実は・・・」。


 相手は『産経新聞文芸部』を名乗った。話しを聞いてみると、毎年年末に文化芸術を振り返る企画をやっているのだが、そのうちの川柳部門で親父の作品を掲載したいということだった。今回は平成最後になりますので是非だそうだ。
 今なら各同人もネット上に句会の結果や作品を掲げているのだろうが、親父が元気にしていた時分にはまだ普及しておらず、それこそ代表をしていた『川柳とaの会』紙面か、それを熱心に読んでいてくれた各地の同好の人くらいしか作品を目にする機会は無かったはず。一体どこで知ったのだろう?
「はい、『国会図書館』に親父様の作品が数百収蔵されておりまして、そこで」。なんと何でも収集してますでお馴染みの『国会図書館』とは意外だった。本当に出版物は何でもかんでも集めているんだな。検索して閲覧出来るのか。しかし、なぜ今回親父に話しが回って来たのだろう?
「実はご存命中にも数回打診させて頂いております」。そうなの? 
「またの機会にと言う事で、ご了承頂けなかったので御座います」。だったら首は縦に振れないと軽く断ってみたら、そこからが長かった。親父様の作品には教育的な側面も御座いましてだの、お人柄が作品に反映されてだの、平成を総括するこの年にふさわしいだの云々。途中で子機の充電が切れてかけ直して来る始末。どんだけ熱心なんだよ。だがしかし、親父は既になし、これまでも断り続けていたなら私が了承するわけにはいかないよ。
「・・・そうですか。。。」受話器越しにも相手が落胆したのがありありと伝わって来たが、お断りした。これで良いんだよな、親父。『第5回風のまち川柳大賞』を受賞した時には石碑を建ててもらってたけどな。



 石碑は良くて新聞は駄目なのか? 今となっては何を基準にしていたのかは知る由もない。


 毎週末どこぞの句会に出向き、楯・トロフィー・賞状を持ち帰っていた親父。検索してみたらネット上にも少しだけ足跡があった。


   第16回川柳公論大賞


   第12、13回横浜川柳作家賞を連続して受賞

   
   川柳学会にて昭和後期の川柳として作品が採り上げられ教材になっていた


   昭和史のまとめサイトで1968年の川柳として作品が掲載などなど・・・。川柳界じゃ歴史上の人物になりつつあるようだ。


 川柳を主としていたが、詩、短歌、一行詩、更には標語など短詩の類いは手広くやっていたので、探せばいくらでも見つかるのかも。


「なんだよー、載りたかったなー産経新聞。平成最後なんだしぃ。気が利かねぇなぁ。ったくよぉ」。


 ・・・親父が化けて出ない事を願うばかりだ。