あ〜さんの音工房

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ヴィオラ・アルタを知っていますか?

 

 私は知らなかった。そんな楽器があろうとは。
 平野真敏著『幻の楽器ヴィオラ・アルタ物語』は、知られざる楽器ヴィオラ・アルタに魅せられた著者が、その探求の旅を綴ったドキュメントだ。非常に面白かったので是非この本を紹介したい。


 1 玄人裸足の文章力


 著者の平野氏は、ヴァイオリン→ヴィオラからヴィオラ・アルタ奏者に転向したプロの演奏家であるが、驚くほど文章が書ける。この界隈でこれほど書ける人は音楽ライターでも珍しいし、況してやプロ奏者となると1人しか思い浮かばない。だが申し訳ないことに、その1人の名前がどうしても思い出せないのだ。
 20年近く前になるだろうか。『現代ギター』誌上でホアキン・ロドリーゴか、レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサの伝記・評伝が、1年かもう少し長く連載されていたことがあったはずだ。『アランフェス協奏曲』初演の場面が描写されていたのを覚えているので、作曲者のロドリーゴか、被献呈・初演ギタリストのレヒーノの伝記だったことは間違いないのだが、この秀逸な文章を書いていたのが邦人現役ギタリストだったのだ。先の『アランフェス』初演の下りなど実に良かったと友人と語り合ったほどだ。この筆者をご存知の方はご教授頂きたい。不覚にも失念してしまった。
 私の記憶に間違えがなければ、このギタリスト氏と平野氏はプロの演奏家であると同時に優れた文筆家であると言える。そして今回の平野氏がどれほどの腕前かは本書冒頭を見れば明らかだろう。


「車低から鳴り響く、線路を喰む鈍い音で、ぼんやりと目が覚めた」


 どこぞの文豪かと見間違うほどの書き出しだ。音楽ルポ的な軽いものを予想していただけに、一気に引き込まれてしまった。私はこの一文を読んで、これは特別な読書体験になると確信した。そして、それは最後の一行まで裏切られることはなかったのだった。


 2 見事な構成


 本書はノンフィクションであるにも関わらず大変見事に構成されている。4章立ての第1章では、この「大きなサイズのヴィオラ」との縁が描かれているが、「すでに出会っていた」出会いからミステリアスでとても面白く、ヴィオラ・アルタと平野氏が赤い糸で結ばれていることを強く印象付けて、この人ならやり遂げてくれるだろうと期待する事になる。
 こうして謎の楽器の探求が始まるが、第2章では試行錯誤を繰り返すものの大きな進展はなく、重要人物ヘルマン・リッターの登場をもって第3章へと続く。空振りが多く、もどかしくもあるが、ノンフィクションらしいと章と言えるだろう。
 遅々として進まない探求だが、精力的にヴィオラ・アルタによる演奏を展開する中で、著者は音楽的な推理をし、様々な人々と出会い、『浜辺の歌』が重要な意味を持つことになる。
 第4章でリッター氏の著書『ヴィオラ・アルタ物語』を入手した平野氏はとうとうヨーロッパへ渡り、この楽器の足跡を辿り始める。この章は10に分かれており9の表題は『真実のパイプオルガン』だ。なぜ終末近くにパイプオルガンなのか? 平野氏は楽器との出会いを描いた第1章で、ヴィオラ・アルタの音色は不思議だと書いているが、この布石がここで収束する。こんなこと本当にあるのかと思わざるを得ないほど見事に。それは圧倒されるほどに感動的だ。
 そして最後の表題は『ワーグナーの呪縛』。みなさんご存知のようにワーグナーナチスの協力者だ。そのことによる推論から、この楽器が廃れた顛末が明かされ、暗澹たる結末を迎えるのかと思いきや、平野氏はヴィオラ・アルタに懸ける希望と決意を「音楽」ではなく「文章」に託すことで覆してみせるのだ。この筆者の筆力だからこそ成し得た、素晴らしい結末。見事だ。
 しかし現実にこれほどの物事があったのだとすれば、平野氏は『アマデウス』に違いない。少なくとも「ヴィオラ・アルタの神様」には愛でられたのだ。事実は小説より奇なりを地で行く展開にただ驚くのみ。


 3 魅力的な登場人物と音楽的トリビア


 「もう1人のヴィオラ・アルタ奏者」やヨーロッパの古い友人たちはもちろん、浅草を拠点とする平野氏が、銭湯や飲み屋で出会う人々など名曲『浅草キッド』が脳内再生されるほど下町情緒に溢れており秀逸。実に面白く、そして切ない。この辺りのくだりが違和感なく収められているのは、偏に文章力の賜物だろう。
 本書は面白いだでけではなく、大変為にもなる。一番驚いたのはヴァイオリン属の成り立ちについてだ。私は漠然と、まずウルトラポピュラーなスーパー楽器「ヴァイオリン」ありきで、内声と低音を補う楽器が作られて行ったのではと思っていたのだが、当時の各楽器の呼称から判断するにそうではないらしい。びっくり。そして楽器そのものが、科学者・エンジニアの「発明」だったというくだりには震撼した。
 ワーグナーが自らの音楽性を満たす為に楽器を考案したのは本書に書かれている通りだが、最も有名な『アイーダトランペット』にしろ「新たな楽器」は音楽的な要求から(多分に見た目上の演出を伴っているにせよ)生まれている。そう思っていた。なので天下のヴァイオリン属が科学的な「発明」の賜物であるというのは目から鱗が落ちる思いだった。
 既成のヴァイオリン・ヴィオラ曲が、実はヴィオラ・アルタやその前身の為に書かれたのではないのかという推理と発掘もたまらなく面白く、ページをめくる手が止らなかった。


 4 残る謎


 ヴィオラ・アルタは5弦の楽器だった。多弦化は使える音程を拡大し、楽器の可能性を広げるもので、ギターでも試みられており、7弦から11弦くらいまで実際に製作されている。だが平野氏のそれは通常のヴィオラと同じ4弦に改造してあったし、「もう1人のヴィオラ・アルタ奏者」カール・スミス氏の所有楽器は「博物館にあったオリジナルを採寸しコピーした」ものだった。(記述はないがおそらく5弦)。両方ともオリジナルではないのだ。
 平野氏は現在もこの改造された4弦ヴィオラ・アルタを愛奏しているようだが、オリジナルを手に入れ探求するつもりはないのだろうか? ヴィオラ・アルタの為のオリジナル楽曲を弾くには、5本の弦が必要ではないのか? 幾許かの謎が残るのも本書の醍醐味としておこう。




 ヴァイオリンともヴィオラとも異なる音色を聴いてみて下さい。パソコンでの聴取でも特徴が聴き取れるだろう。複数の合奏では、互いに響き合ってさらに興味深いと著述があるのだが、探しても見つからなかったので、本書のクライマックスのひとつ『浜辺の歌』をどうぞ。





 長々と書いてしまったが、少しは興味を持ってもらえただろうか。私は例のポール・アダムの著作から本書に辿り着いたのだが、巡り会えて本当に良かったと思っている。音楽が好き、楽器に興味があるみなさんは勿論、あとがきの「浅草にて」まで隙のない本書は、良質なミステリーをお探しの方にも推薦したい、嘘のような本当の話だ。



 平野氏の公式ブログはこちら http://masatoshihirano.cocolog-nifty.com/


   『幻の楽器ヴィオラ・アルタ物語』 集英社新書0674N