あ〜さんの音工房

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再掲載祭り=2014年03月02日

涙雨じゃなくて良かった

 

 しずしずと雨が降り出す中、オイル交換をした。雪ではないのだから暖かいかといえば、そうでもない。空は薄暗く出かける日和ではないが、招集がかかったのだから行かねばなるまい。『エマヌエーレ・セグレ&福田進一 ギターデュオ』公演がザ・ハーモニーホールにて開催されるのだが、客足が伸び悩んでいるらしいのだ。

 

 やはりエンジントルクが増えている。いや、元に戻ったと考えるべきか。ギアを1速に繋いで走り出すと、すぐに気が付く。毎度のことだが、少し嬉しくなる。どうやら根っからの小市民のようだ。

 ホールへ向かう道すがら周辺を眺めてみると、変わらず「売り地」の札が出ているガソリンスタンド跡や、この前通った時にはなかった更地が見受けられる。国道に面しているというのに、いつまで売れ残っているのだろう、この土地たちは。一抹の不安を覚えながら長い右折の列に並んでいると、少しばかり雨脚が強まったように思えた。

 

 係員に誘導されて駐車すると、足早にホールに向かった。チケットは手元にないので、招集をかけた本人と落ち合うことになっているのだが・・・

 

「だんな、良い席あるよ」

 

 え? 良い席?

 

「アリーナあるよ、アリーナ」

 

 あぁ、反社会勢力の末席を汚していることでお馴染みの、ダフ屋のおいちゃんではないですか。丁度よかった1枚ください。アリーナ席おいくら万円ですか?

 

「おれだよ、あ~さん」

 

 おぉ、誰かと思えば招集をかけた本人にして、今回の公演の後援の末席に名を連ねている『中野ギター工房』の中野さんではないですか。適正価格でそこそこ良い席を1枚ください。

 昔はコンサートに足を運ぶ度に見掛けたダフ屋のおいちゃんに思いを馳せている間にも、続々と観客が集まり始めている。開場時間にはまだ早いのだが・・・

 

「寒いので、中へどうぞ。開場致します」

 

 入口前の年齢層高めの観客たちのことを計らって、開場が早まった。本当にやばいほどにチケットが売れ残っているのだろうか? 経験上この感じは良い流れなのだが。

 

 しばらくロビーのふかふかのチェアに腰を下ろしていたが、来場者が後を断たない。ホールへ入ってみて、びっくり。席が埋まっているではないか。

 ハーモニーホールの客席は通路を挟んで前後に別れている。前側はほぼ満席と言ってよいだろう。後側も7、8割は埋まっている。招集がかかった時点では400切りそうだという話だったが(確かにそれならガラガラですが)約700席あるホールが埋まっている。がんばったな、関係者。日本で2番目に集客力のあるクラシックギタリストが来演するんだ、こうでなければいかんよ。ただでさえ東京と名古屋の狭間の土地柄なんだ。外タレには股がれて行かれることが常だ。来日中の超大物なんざ全国の信者はトーキョーに集まれと来たもんだ。そんな中来訪してくれる音楽家に対しては満席で迎えるのが礼儀であるし、またそうでないと次はなくなってしまう。

 

 福田進一(以下ドン福田)とセグレ氏がデュオを組むのは今回が初めてだそうだ。演目は古典と現代曲を主に、それぞれのソロタイムにはボサノバなどで息抜きをし、最後はスペインもので盛り上げて終わる算段になっている。実に妥当だ。

 ソルのデュオ曲から始まったが、セグレ氏の音色が極端に固い。注目してみると、アポヤンド(例えば1弦を弾いたら次の2弦に指を寄りかからせる奏法で、弦をはじくのではなく押すようにして発音させることですが)している。大きな音量もしくは通る音色を求めてのことかと思ったが、どうもそうではなく、旋律を弾く時にはアポヤンドを基本としている様子だ。不安がよぎる。

 現代ではアルアイレ(弾弦した指が次の弦に触れない、中空に浮かせる奏法のことですが)を基本とし、アポヤンドは場合によって使用するのが主流である。隣のドン福田もそうしているし、村治奏一氏も当然そうだし、デイヴィッド・ラッセル氏も、故・稲垣稔氏も、私でさえもクラシックギターを弾く時にはそうしている。しかし、セグレ氏は違う。身に付けている技術のバージョンが古く、更新されていないのではないのか?

 だが、それは杞憂に終わった。1曲目の最後の和音が収まるのを待ちきれずに鳴り響いた拍手がそれを物語っていた。セグレ氏は珍しくはあるがアポヤンドを多用するスタイルなだけで、古いタイプの演奏家ではなかったのだ。そして、それはセグレ氏のソロタイムで更に明らかになった。

 セグレ氏はイマドキの演奏家のようなハイレベルな技術を身に付けている訳では決して無い。しかし、彼が弾いた現代の作曲家ディアンスのリブラ・ソナチネ終楽章『フォーコ』は、かつてNHKドキュメンタリー番組でフィーチャーされたリストの『ラ・カンパネラ』のように、聴く者の心の襞に慈悲深く分け入ったのだ。それは奇しくも同じこのホールで響いた、村治奏一氏の胸のすくようなそれとはまるで違ったが、これもアリだと思える納得の演奏であったのだ。

 完璧な技術で弾き上げても、必ずしも最高とは呼ばれないのが音楽とスポーツとの違いだ。ピアノの自動演奏に人の心が動かされることはないし、コンピューターにプログラムされた大オーケストラをホールで鳴らしてもそれは同じことだ。では技術はどうでも良いのかと問われれば無論そうではない。セグレ氏はカンパネラのお婆さんのように技術的に下手な演奏を披露したわけでは無く、限り有る技術を上手く駆使して良い演奏をしたのだ。だからこそ我々は万雷の拍手を彼の音楽に送った。

 

 一方のドン福田はご機嫌だ。この人は録音とライブ演奏は完全に分けて考えているらしく、この夜も魅せる演奏に徹していた。全身はもちろん顔の表情まで使って「弾いている感」「やってます感」を醸し出している。解釈もとてもわかりやすく(演目もそうですが)拍手のしやすい演奏に終始していた。

 このメインホールは大ホールと呼べるほどの大きさはないが、オルガンを備え付けてあることもあり、天井方向が高く出来ている。従ってそちらでの一次反射はあまり期待出来ないし(ギターの場合はですが)、左右方向も遠く、ギターには少しばかり手に余るサイズなのだが、広い分複雑に入り組んだ響きを楽しめて案外良かった。音の飛び方は弱かったが、ドン福田の使用楽器は悪くはない物だと理解出来た。

 ドン福田は、この度のデュオは直後に控えているというバッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏の前の楽しみとして位置付けているのだろう。楽しみたくて仕方がない様子がみられた。そして、それを8割9割埋まった観客が後押ししたのだ。それはそうだろう。私が前回ドン福田を観たのは、このホールでフルート山形由美嬢に同伴して来たときだ。その時は立錐の余地ものいほどの満席だった。客席の入り具合は演奏者のメンタルに多大な影響を与えるものだ。私は恐ろしいほどガラガラのギターコンサートの客席にいたことがあるが、その時登場した演奏者たちの表情を忘れることは出来ない。

 

 最後の最後まで良い拍手が途切れることのない公演だった。演奏後は常に奏者がはけ切るまで拍手は続いた。それは私を含めた多くの来客の想像を超えた、良質の演奏がそうさせたのだと思う。馴染みのないギターデュオという形態に、マニア以外に聴かれることのない演目でも、この場所で演奏会は成り立ったのだ。

 来客満足度の極めて高い演奏会となった本公演だが、2度3度とアンコールに応えた演奏者たちにとっても気分の良いものであっただろう。流石はドン福田。日本で2番めの集客力は伊達じゃなかった。ありがとうセニョール・セグレ。楽しい夜だったと海外でも言いふらしてください。

 開幕前の危惧はどこへやら。ウィンウィンの盛会に終わった『エマヌエーレ・セグレ&福田進一 ギターデュオ』公演。ガラガラでスカスカだったら暗澹たる気持ちで当ブログを書き連ねることになるところであった。プロの仕業のおかげで、愚痴ばかりでやさぐれ果てることもなく済んだ。ありがたいことだ。

 

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 さあ、問題は5月11日にザ・ハーモニーホールで開催される『稲垣稔追悼コンサート』がどうなるかだ。いつの間にやら9名もの演奏者が招聘されている。今回の勢いでなんとか客席を埋めたいところだが、どうなることやら。2人が切り開いてくれた空気の隙間にしれっと入り込めればよいのだろうが、油断出来ない状況だ。関係各位は気を引き締めて臨まれたい。

 関東甲信越地方で唯一の開催になりそうな稲垣氏の追悼公演に足を運べそうもないのは甚だ残念だ。陰ながら善戦を願うのみ。

 

 変わらず降り続いている雨が、涙雨にならずに良かった。この雨もやがて上がるだろう。