あ〜さんの音工房

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村治奏一@蔵シック館 顛末記

 

1 朝の松本平


 12月23日朝。工房に着いたが閉まっている。ケータイに連絡してみるが応答なし。まだ今日の空が行方を決めかねている午前8時過ぎのことだ。



 周辺を歩いてみるがなかなかの寒さに早々に退散。霜が降りていた。



 暫く車中で休んでから再び連絡してみるが出ない。何か変更があるならかけてくるだろうし、車庫に車はあるのでいるはずだ。固定電話にかけると「着いた?」。ええ、時間通りに来てますけど。
 工房に顔を見せた中野氏は、よく眠れたかだの、朝は支度がどうのだの、9時過ぎには迎えに行かなくてはなどと話すと、とりあえずコーヒーを淹れるように言い残して姿を消した。尋常ではない髪の寝癖が多くを物語っていたが、ここではたと気がついた。そうだった、中野氏はケータイを携帯しない人なのだった。




2 松本・中町『蔵シック館』


 公務員H氏も合流し、車2台に演奏者用の椅子やまるでキャンプ用品のような休憩時お茶用給湯セット一式などを積み込んで今日の会場である『蔵シック館』へ向かう。ここへ来るのは確か2度目。やはりあの時もギターの演奏会だったと記憶している。



 道すがらホテルに寄り、挨拶もそこそこに今日の主役・ギタリスト村治奏一氏をピックアップし、2本のギターとキャリーケースも載せて到着。すぐに搬入し館内を下見する。以前は観客として来ただけなので、2階の会場しか覚えていないのだ。
 クラシックギター製作家中野潤氏の関わる演奏会の手伝いをしだして10年になろうとしているが、今回もいつも通り演奏場所と当日の集合時間を知らされただけだ。なのでここでは休憩時にお茶を出すのが慣例だとか、それを担当するのは『サイクルカフェ ピラータ』店主・成川修氏だとか、その隣の和室が演奏者控え室だとか到着してからようやく知るわけだ。だが、これこそがスタッフとして参加する醍醐味であったりする。ライブな会話の端々で謎が解けて行く展開は、まるで推理小説を読むようにスリリングなのだ。
 今日の展開が見えて来た所で名探偵一行は2階の会場へ。早速椅子を並べにかかるが、平坦なので互い違いにした方が見やすいかなどと話していると、奏一氏から演奏者の位置を変えたらどうだろうと提案された。我々は従来通り長方形の会場の奥に演奏者を頂く形で設営を始めたのだが、横長の中心の演奏者を囲むように椅子を並べたらどうかと言うのだ。なるほどそれは良いアイデアだ。演奏者を囲むように半円形にしたらアットホームな感じになるし、より多くの人が演奏者に近づけるし。


 
『中町・半円形劇場』の出来上がり。近過ぎないかと心配の声も上がったがホール以外での演奏、例えば美術館などではこんな配置のこともあるそうだ。
 今朝は霜が降りるほどの気温だったので、場内も冷えている。ストーブと床暖房で暖めるが時間がかかりそうだ。そしてこのことが今回の公演の心残りとなるのだった。



 

3 全曲録音はしない


 中野氏と公務員H氏が買い出しに出かけるので私が残ることに。その間リハーサルとは言え奏一氏の演奏を独占状態になる。演目がバッハになると不眠に悩むカイザーリンク伯爵の気分だ。「ゴールドベルクよ、苦しゅうないぞ」。日々地面に腹を擦り付けながらの低空飛行をしている身にとっては実にもったいないことだ。



 その流れで休憩する奏一氏にBWV1000について話を振ってみた。この傑作フーガが無伴奏ヴァイオリンの為に書かれたとは驚きだと。なぜこれほどの主題とアイデアを鍵盤や合奏の為に用いなかったのかと。奏一氏曰く「フーガを弾くには不自由な旋律楽器ならではの良さがあるのだろう。BWV1000はギター用編曲の他、リュート用編曲、オルガン用編曲もあるが、それは他の無伴奏曲にも言えることだ。バッハの無伴奏曲をありったけ弾くつもりはない。旋律的に書かれている曲はやはり旋律楽器で弾いてこそだし、ギター用に編曲して意義のある曲しか採り上げるつもりはない」そうだ。無伴奏ヴァイオリン、チェロ全曲どころかフルート曲までも演奏したり、一通り弾き終えて再録音に挑んでいる先達がいるなか若いのに見識のあることだが、デビュー作『シャコンヌ』で2番のパルティータを取り上げ、最新作『SPARKS』まで断続的にバッハを聴かせてくれている奏一氏のことだ、今後も期待して待つことにしよう。




4 予想外はそれ以外


 買い出し班が戻ると、今度は昼食の心配をしなければならない時間になっている。もう少し弾きたいのと『蔵シック館』側からの取材の申し入れもあり、奏一氏を残した3人で食べに出た。空からはポツポツと雨。この年の瀬にまた雨だ。今シーズンはこれまで経験したことのない暖冬になりそうだ。
 昼食を終え戻ったところで成川氏が到着。早速お茶の準備にかかる。携帯コンロで湯を沸かしポットに収める。ジュースの用意もあるが、暖かな紅茶がメイン。お湯が足りなくなっては困る。ストーブに火を入れて冷えている部屋も暖める。
 13時30分の会場を前に来客が始まるが、これは予想通り。ここには駐車スペースがないため近隣の駐車場から歩くか、駅から歩くかしなければならないから時間に余裕を見て来る人が多いだろうと考えていたからだ。予想外だったのはチケットが渡されていなかったことだ。今回の公演は50席しかなく主催者が声をかけた時点で完売してしまったし、知り合いばかりなのでチケットの発行はしていなかったのだ。なので当日受付で名乗って支払いしてもらい、プログラムを渡すことになっていた。そして受付のテーブルの端にディスクを置いて販売することになったのだが、ここで疑問が2つ。ひとつは「スリッパ足りるのか」問題。もうひとつは「下足はどうするのか」問題だ。
 スリッパは最終的にはスタッフ全員が裸足になることでなんとか凌げた。対して狭い古民家の玄関に置いたら混乱間違いなしの下足は「コンビニ袋に入れて持ち込み」が予定されていたのだった。従って来客に対しては、名前を聞いてチェック→チケット料金を徴収→下足入れを手渡すがセットとなり、これを玄関先で行った。なかなかの手間だったよ。次々と謎が起こりその場で解けて行くスリリングな展開には毎度のことながら痺れる。
 

 ドタキャンがあったので埋まるのは45席ほどだったはずが、蓋を開けてみれば全部で48席用意した椅子が足りなくなることに。嬉しい悲鳴を上げる中野氏に開演の口上を促すが渋る。待て待て、いきなり演者の登場はおかしい。「何話せばいいんだ?」 本日は寒い中お運びいただきましてとかなんとか。間もなく開演になりますで締めれば良いだろう。尻を叩いて階段を昇らすが、捻り一つなくそのまんま話して戻って来る始末。工房に転がっていたスピーチ入門本はなんだったのか。まるで役立っていないじゃないか。痺れる。
「村治さん、諸々よろしかったらお願いします」50席割るどころか6席足して更に追加になったので立錐の余地もないと告げると、そうですかと凛々しく応え奏一氏が戦場に向かう。こんなに過酷な職場もそうはないだろうと私は思う。



 そして拍手喝采を受ける演奏家ほどカッコよろしいものはない、とも。




5 失態のスタッフ・バッハは偉大なり


 演奏時には暑くなり過ぎないように空調を1つ回して欲しい、という要望通りにしてはいたのだが暑かった前半。休憩時に窓を開けての換気、空調を2台とも回すなど対策を講じたにも関わらず後半も会場は暑い。どうやら床暖房が効きすぎていたようなのだ。思わぬ所での大失態。奏一氏にも来客のみなさんにも申し訳なかった。
 前後半ともにボリュームのある演目だったが、前半の後半と後半の前半に配置されたバッハがガス抜き・解毒剤になっていたように思う。我々にとっては見知った曲なので安心感をもたらすし、何より初めて聴いた人にも「良い曲だ」と思わせる力がバッハにはある。




6 これも予想外


 アンコールの『アルハンブラの思い出』とともに終演となった『村治奏一ギターリサイタル@蔵シック館』。休憩時にまるで売れなかったCDの販売に力を入れたかったのだが、それどころではなかった。お帰りのみなさんの下足袋の回収とスリッパの収納で手一杯になってしまったのだ。考えが及んでおらず予想外だった。結局は「村治さんを囲んでの忘年パーティ」で3枚ほど売れはしたが力及ばず完売には程遠い結果に。何かしら理由があるはずだが判らず痺れる。




7 忘年パーティ


 なぜ「忘年会」ではなく「クリスマスパーティ」でもなく「忘年パーティ」なのかは置いておくとして、打ち上げは『おきな堂』の3階を貸し切って催されたのだった。



 出て来る物なにを食べても美味しいので、たっぷり食べて休息の時間とさせてもらった。朝から動いているのでチャージしないと体が持たない。もちろん話かけられたり紹介された人とは話もしたし、少しは愛想も振りまいたけれども。
 実は先日も『深志荘』という古民家旅館で和食のコースを食べたのだけれど、とても美味しかった。松本界隈は美味しいお店がたくさんあるので、くれぐれもチェーン店などで食さないことをお薦めする。



 すっかり暮れた松本・縄手通りと四柱神社。ここらもいずれは探訪してみたいスポットだ。



 そつのないスピーチで盛会となった「忘年パーティ」を締めくくる奏一氏。こうありたいものですな。




8 雨の縄手通り


「もう少し話したいから、男だけで二次会行こうよ」と中野氏からフェミニスト団体から不買運動されそうな発言があり、奏一氏、公務員H氏、小児科のお医者さん、そして私の5名で移動する。いつの間にか外は雨脚が強まっていた。『居酒屋ゴロー』へ向かう道すがら、この辺りの建物は趣がありますねと奏一氏。ここは縄手通りと言って城下町を彷彿とさせる作りにしてあるんだよ。確かこの辺りに少し前までは映画館があったはずだと話を振ると、丁度ここですよとドクター。松本も市街地にいくつかあった映画館は全てなくなってしまったよ。今はシネコンしかない。つまらなくなってしまったと話すと、奏一氏はそうですねと受けてくれた。松本でも新宿でも同じような物でしょうからねシネコンは。個性のある映画館がなくなってしまったのは寂しいと。




9 男たちの二次会


 野郎ばかりになったからと言って猥談に終始する我々ではない。恒例の政府批判からカルト映画情報まで語り合ったのだった。そして今回は我々の間で話題の「スピーチ力」が俎上となったのが目新しいところだ。どうした中野さん、先ほどの体たらくは。そうだ、あれは酷かった。短か過ぎるし。スピーチ本の効果ゼロじゃないすか。ゲスの極みでしたよ。などとひとしきり罵って中野氏を喜ばせると「スピーチは難しい。知り合いばかりだからこそ今回は余計にだ」と言い出した。この意見には賛否があったが、私はまるで解せなかった。知り合いばかりなら「ホーム」状態なので気楽だし、他人ばかりなら偉いさんだろうが関係ないのでこれまた気楽だからだ。実際にこの10月に地域の事案を話し合った集会で、いの一番に挙手し、自らの考えを提案し熱弁を振るい、最終的には参加者全員の賛同を得た身からしたら何が難しいのかさっぱり解らない。いずれにせよスピーチは出来るに越したことはないが、本に指南されても上手く行くものでもないらしい。
 その後、流れで私のことが話題になったのには参った。中野氏曰く、今回のようなイベントになると「あの人は誰なんだ」と訊かれて困るそうなのだ。ただのおじさんだと答えておいて欲しいが、とにかくやたらと訊かれるんだそうだ。「株で儲けているように見えるんすよ」との声も上がったが、カブってなんなの、食べれるの? 中野氏に私の名刺を渡しておいて「怪しい人ではないですよ」と配ってもらうのが良いかと思っている。割とマジで。
 おじさんたちの話は置いておいて奏一氏のことを記そう。娘さんにギターをやらせるのか問題については「自分が始めたのが3歳からなので、あと1年半ほどの間に決めなければと思うのだが悩んでいる。と言うのも自分の両親はプロの演奏家ではないので姉と自分に教えてしまったが、プロ演奏家の大変さが身に沁みている自分からすると同じ道に娘を引き込んで良いのか判断しかねている」そうだ。また来年の課題としてメンタルを鍛えたいと語っていたが、このなかで一番強いのが奏一氏なのでメンヘラおじさんたちの出る幕はなかったのだった。
 



10 また会う日まで


「またお会いしましょう」いつも通り握手をして別れた。毎年訪れてはしているが8年ぶりとなった今回の松本公演、楽しんで頂けただろうか? そぼ降る雨のなか夜の街に消えた奏一氏なのだった。またお会い出来る機会を楽しみにしています。素敵な演奏をありかとうございました。


 以上が2015年12月23日に行われた『村治奏一ギターリサイタル@蔵シック館』の一部始終だ。来れなかったみなさんに拙文で楽しんで頂けたなら幸いだ。翌日の午前中が休めたり、いろいろと考えることもあったので今回は最初から最後まで参加することにした。これからもひとつひとつの出会いを大切にしたいし、1日1日を大切に過ごしたい。今改めてそう思っている。
 今後の『中野ギター工房』主催のイベントだが、来年は外国からギタリストを招いての企画が決まりかけているらしい。楽しみだが外人さんは英語がね・・・どうなることやら。
 こちらは明日仕事納めで1週間の年末年始休みに入ります。私は勤勉な労働者で決して怪しい者ではありません。これからも何かイベントがあったら面白おかしく記して行こうと思います。お楽しみに。