あ〜さんの音工房

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見えなければ空襲だ


 すっかり暗くなった20時頃に始めの一発が打ち上げられて、近所の花火大会が催された。


 河原から発せられるそれは、自宅の私からは音は聞こえども見えはしなかった。パチパチとした軽い音と、ドォンとした巨大なティンパニが炸裂したような音が、間を空けて交互に聞こえて来ただけだ。空が明るくなる事もほとんど無く、ただ暗闇に轟音が響き続けて、尻に振動が伝わった。数日前に映画『この世界の片隅に』を観たばかりだが、それを思い出した。
 この作品はクラウドファンディングで資金を調達して制作された、作り手の熱い想いが込められたアニメーションだが、話しの後半で舞台である軍港呉は空襲を受ける。機銃掃射され、焼夷弾を落とされ、爆撃されるのだ。その恐ろしい光景を、今夜の花火の音で思い出してしまった。
 長岡の花火を筆頭に花火には慰霊や復興の願いが込められるが、見えない花火は大量の火薬の爆発でしかない。爆撃による振動は地響きを伴い、あらゆる物を揺さぶるそうだ。体験はないが、空襲とは音だけならこのようなものではないのかと思った。いや、これに街が燃え上がる音や、人々の断末魔が加わるのが「空襲の音」なのだろう。画は考えたくもない。


 子供の頃は商店街が主催する夏祭りが待ち遠しくて仕方なかった。最も楽しみにしていたのが祭りの締めくくりに打ち上げられる花火だ。見渡す限りの人の波も、その時ばかりは動きを止めて夜空を見上げた。明るく映し出された顔は、誰も彼も喜びに満ちていたものだ。夏祭りは幸せな思い出で、花火は楽しいものだったはずだが、今夜の花火はなんなんだ? 音だけの花火は怖い。


 毎年終戦記念日には、国の象徴が「過去を顧み深い反省」を表しているが、我々一人一人はどうなのだろう? そもそも8月15日は「敗戦の日」ではないのか?


 最後にドドドン、バチバチ、ドォーン、バババとまるでとどめを刺すかのように爆音が撒き散らされて、花火大会は終った。すると、それを待っていたかのように大粒の雨が降り出した。涙雨に違いない。真暗い夜空を見上げながら、空襲などご免被りたいと願った。この世界が平和でありますように。