あ〜さんの音工房

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忘れられた名演奏=ベームのシューベルトを聴いて

 

 目覚めると随分と暖かい。カーテンの隙間から日が射しており、外は明るく晴れている様子だ。どうやら1日中雨の予報は外れたらしい。
 今朝起きたらブルックナーの3番を聴こうと思っていた。先日聴き通した全集の中でも特に印象に残っていたからだ。だがプレイヤーの電源を入れ、アンプの電源を入れているうちに、何故だかシューベルトの9番を聴きたくなってしまった。思わぬ好天に合わせて気分も変わったらしい。
 CDで聴こうとラックを探したが、ワルター盤が見当たらない。ADしかないのだろうか? バーンスタイン/コンセルトへボウ盤は前回出番があったのでパス。他にはベームの3種の録音があるはずだが、ウィーンフィルとのライブ盤はADだし、ベルリンフィルとの全集は天井の隙間に押し込まれていて手が届かない。



 これはなんとかしないといけない。せっかく背表紙が見える形でラックに収納していても、取り出せないのでは聴く機会を失してしまう。CDラックの増設スペースは確保されているのだが、いつまで経っても予算が付かないのだ。車検の予算が余ったら作ろう。そうしよう。
 ドレスデンシュターツカペレ盤は手の届く所にあったので、これを聴くことにする。変わらず良い仕事してくれているプレイヤーDCD-3500Gは、擦り傷一つない外観を誇るがリモコンがないので手作業で再生ボタンを押す。すると暗騒音とともに、咳が聴こえた。不思議に思いCDケースの裏を見やると、何カ国語かで「ライブレコーディング」と書かれていた。すっかり忘れていたが、この盤は実況録音だったのだ。
 ベルリンフィル盤は60年代のセッション録音。ウィーンフィル盤は'75年の来日公演の実況録音。2大オケでの演奏がすでにあるのにも関わらず、なぜドレスデンとの'79年の演奏をディスク化したのか? おそらくベーム本人からと言うよりも、オケのメンバーや、この演奏に接した観衆、レコード会社などから声が上がり、この演奏は後世に伝える価値があると判断され、ディスク化されたのではないだろうか。
 

 演奏は弾けんばかりの生気が漲っている。忠犬ドレスデンスターツカペレの面々は、まるでもう逢うことはないと諦めていた飼い主に出会ったかのごとく、千切れんばかりに尾を振り回しているかのようだ。ベームの棒の元で演奏出来ることが嬉しくて仕方がない様がありありと解る。きっとオケ奏者が聴いたらとても共感出来るのではないだろうか。
 弱奏と強奏との振り幅の大きいダイナミックな表現が展開されているが、破綻することはなく十分なコントロールが利いていて見事だ。そしてオケの喜びに満ちあふれた高過ぎるほど高いモチベーションは、公明正大で澄み渡ったこの曲の楽想にぴたりと寄り添っている。手かせ足かせのない実に堂々とした演奏だ。
 ところで世に言う「ライブレコーディング」には2通りあって、このディスクに納められているのが一度きりの演奏を放送用に録音したものなのか、リハーサルを含めた数回の本番の録音を継ぎ接ぎした「ライブレコーディング」なのかは定かではないが、おそらく前者であろうと思う。前記したように予定はなかったがディスク化されたのならそうなるはずだからだ。原理主義者たちは継ぎ接ぎしていたらライブじゃないだろうと声を荒げるが、私にとってはどうでも良いことだ。本意でない部分がある「ライブ」よりも、最高の瞬間を繋いで「私の考えるこの曲はこうだ」と示してもらいたいからだ。またそうでなければ後世に伝える意義がない。不本意な演奏を残されて良しとする演奏家などいやしないだろう。我々もそれは望んではいない。
 録音は左右に大きく展開したり、管楽器がピックアップされたりしてはいないが(おそらく)指揮台で足を踏み鳴らしている音が大きめに捉えられていることから、天井の吊りマイク以外にも数本のマイクは立てていたと思われる。それ以外は実演に接しているかのように無理がなく自然で好ましい。


 1979年にドレスデンシュターツカペレを指揮して残された、ベームの3度目のシューベルト交響曲第9番の録音は、2大オケの狭間で埋もれさせてしまうには忍びない名演奏ではないだろうか。聴き返すまでこれほどの感情を呼び起こされるとは思ってもみなかったが、今それを確信した。一聴をお薦めする。