あ〜さんの音工房

アーカイブはこちら→http://akeyno.seesaa.net/

それがプロと言うものだ

 

 朝起きてサンボマスターを聴いた。75分以上収録されているアルバムだ。初めの数曲は全く受け付けない。生理的に無理な感じだ。ところが終わる頃には「悪くはないな」と思えた。とんでもなくコンプレッションされて頭を押さえつけられた録音で、聴いているだけでストレスになるのに。各楽器の分離や質感などまるで表されていない固まりのような音なのに。しかし、それが狙いだと言わんばかりに、このアルバムからは何かが発散されている。その何かに、心揺さぶられるのだ。だから聴き終わると私のようにメンタリティのかけ離れた者であっても「悪くはない」と思う。それが『僕と君の全てをロックンロールと呼べ』と言うアルバムだ。


 降りしきる雨の中、演奏会に出向いた。『福田進一・工藤重典 デュオ・リサイタル』。時を同じくしてパリで学んだ2人の重奏だ。開場前に着いたが、雨にも関わらずなかなかの人出だ。この日を楽しみにしていた人々の熱気が漂う中、定時を少し過ぎて開演された。そして前半、福田のソロタイムにそれは起きた。
 福田の実演をそれほど多く聴いているわけではないが、実演の福田は放送用の演奏を含めて、その時々の「乗り」を重視しており、録音とは全く異なった雰囲気で、弾き飛ばしも多い。今回の演目『シャコンヌ』も同じだった。この瑕疵の多い演奏を駄目だと決めつけるのは簡単だ。弾けてないのだから。だが見るべき事は他にあるのだ。
 プロは何が起ころうが絶対に「しまった」と言う顔は見せない。間違えた、不本意な演奏をしても、すっとぼけて最後まで弾き切る。そして、それまで以上に「弾けてる感」を醸し出すのだ。ジャンルは異なるがリッチー・ブラックモアジミー・ペイジを観るが良い。どれだけミスをしようが「ん? 何か問題でも?」と言わんばかりの顔の表情とアクションで「弾けてる感」を振りまいているだろう。それを観た我々は「お、おう」と言わざるを得ない。「ミスっちゃったんで、いくらか返金しますね」何どとは絶対に言わないのだ。
 実演で楽しむべきなのは正にこの「奏者の危機管理能力」だ。これは実演でなければ絶対に経験出来ないではないか。録音と一字一句違わぬ演奏など何の価値もない。自宅でいくらでも聴けるじゃないか。


 演奏会はプログラム最後の演目『タンゴの歴史』で最高潮を迎え、熱烈なアンコールが巻き起こった。2人はそれに応えて3曲も演奏してくれたのだった。「終わりよければ全て良し」という諺は演奏会の為にある。どれだけぐだぐだしようが(今回は当てはまりませんが)終わりに向けて盛り上がれば顧客満足度を維持出来るのだ。プロは流石に抜かりが無い。そうなるように仕組んであるのだから。それがプロと言うものだ。一期一会を大いに楽しんだ午後だった。





 Hさんコメントありがとうございました。


 音楽家にとって録音は過去の意見表明です。福田は2度『シャコンヌ』を録音していますが、どちらも素晴らしいですよ。そこから更に進化・熟成した音楽を実演で聴けるに越した事はありませんが、なかなか難しいですよね。オケでも大抵管楽器はミスします。舞台劇では台詞が出てこない切っ掛けが遅れるなど日常茶飯事。昔の映画館に至ってはフィルムチェンジをミスしたり、なんなら1分くらいスクリーン真っ白なんてことも珍しくはなかったですしね。そんなこんなを、理不尽なクレームに笑顔で対応する公務員のような心持ちで楽しめるようになりたいものです。でも、確かにあの時の福田は「コア・ファイターで逃げ出すアムロ」くらい追い込まれていたと思いますよ。