あ〜さんの音工房

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再掲載祭り=2011年07月015日分

  廃線列車

 

 夏祭りの終わった深夜二時、丑三つ時にその列車は「出る」と噂されていた。その日、その時、廃線跡に集えば、自分が一番大切に思っている故人に会えるというのだ。誰々に会いたい、という指定は出来ない。会うべき人が一人だけ、その列車に乗って来る。人はそれを廃線列車と呼んだ。

 

 *****

 

「ホントに出るのかよ」

 窓にもたれて吹き込む夜風に当たりながら、彼は怪訝な顔つきで聞き返した。

 粒良良一。「良」の字がかぶっているのは変だと思うが「俺が付けたんじゃねぇし」と言われると「だよな」と返すしか無い。通称「つぶりょう」とは家が自転車で十分とかからない距離の同級生ってこともあって、中二になった今でもずっと仲良しだ。

 実はぼく「たけやん」こと岡田武彦も信じてはいなかった。先月までは。

「大丈夫。今年は出る年なんだって」

 出ない年もあるのだという。一年おきだとか四年に一度だとか真しやかに噂されていた。

「ワールドカップじゃあるまいし。この前はいつ出たんだよ?」

「去年らしいよ」

「ダメじゃん。毎年出るわけじゃないんだろ? 期待出来そうもないや」

 先月、親戚の五十鈴おばさんが家に泊まりに来た時、ぼくは確かに聞いたんだ。廃線列車は都市伝説なんかじゃない。

 トイレに行きたくなって階段を下りて行くとまだリビングに明かりが点いていて、母さんとおばさんが声を潜めて話していた。

「・・・不思議なこともあるものね。荒木さんが・・・本当なの?」

 荒木さんとは去年亡くなった五十鈴おばさんの旦那さんのことだ。

「信じてくれなくてもいいの、会えたんだもの。本当に出るのよ、廃線列車って。姉ちゃんだけには話しておきたかったから・・・」 

 ぼくは廊下でフリーズした。おばさんが廃線列車に遭遇していた!? そして、死んだおじさんに会った!?

 その時から今年は祭りの夜には廃線跡に行ってみたいと考えていた。その為につぶりょうと二人で計画を練った。

 

  前日の夜から、ぼくはつぶりょうの家に泊まりに来ていた。こっちの方が町の中心部に近いから、イベント事があるときは大抵お世話になっている。「豊澄町涼風まつり」の前後ここにいても誰にも怪しまれることはない。もちろん飯もごちそうになるし風呂にも入る。風呂上がりには冷蔵庫から麦茶を取り出して当たり前のように飲むし、なんなら粒良家の人々に注いでやりもする。おばさんはスイカを切ってくれるし、おじさんはビールを薦めてくれる。(おばさんが止めるけど)実に居心地が良い。そして何よりこの部屋からは隣のお宅のブロック塀をつたえば出入り自由なのだった。いくら物わかりの良いここの親でも真夜中に中学生を快く外出させてくれはしない。今夜はどうしてもこの部屋に泊まらなければならなかったんだ。お泊まりセットのなかにはサンダルを忍ばせてある。用意は万端だ。

「会えるかな、裕樹に」

 祭りの熱気がまだ残る窓の外を眺めながら、つぶりょうがポツリと言った。

 もう二年前のことだ。弟の裕樹くんが亡くなったのは。ぼくはその場にいなかったけれど、いても何も出来なかったに違いない。あれは不幸な事故だ。天災だったんだ。

 山間のこの町を流れる高沢川はそれほど幅があるわけでもなく、上流にダムがあって水量が一定なので、夏の川辺は子供達の絶好の遊び場になっていた。町でも数年前からカヌー教室を開いたりしていて、観光スポットにしたいようだった。

 二年前の夏は猛暑で、確か日本中で高温の記録を更新したはずだ。ぼくらも川で過ごす事が多かった。

 あの日の朝、ぼくの自転車はパンクしていた。だから川で遊ぼうという皆の誘いを断って修理とメンテナンスをすることにしたんだ。一日かけてパンクを直し、洗車をして、錆び付いた所は研磨剤で磨いてやるつもりでいた。

 そろそろ昼食だと母さんが声をかけてくれた直後だった。爆音を撒き散らしながらヘリコプターが前のめりになって飛んで行った。ここら辺でヘリが飛ぶのは水難事故があった時と決まっている。

「ちょっと見てくる」

 クラスの友達が四五人は川にいっているはずだ。直したばかりの自転車に飛び乗って、高沢川に向かったぼくの背中を、早く帰ってこないとお昼抜きだからねと母さんの声が追いかけて来たが大丈夫。川までは五分とかからない。みんなの顔を見てすぐに戻れば昼食もバッチリ食べられる、そのはずだった。

 いつのまにか空を覆っていた雲から、ぽつりぽつりと雨粒が落ちて来ていた。ぼくはペダルに力を込めて、橋のそばの親水広場を目指した。

 おかしなことに高沢川は大水になっていて、濁流で荒れ狂っていた。雨はいまさっき降り始めたばかりなのに何故なんだ?

 河原の人だかりの中に、白黒ボーダーのポロシャツが目に入った。つぶりょうだ。でも、明らかに様子がおかしい。おじさんとおばさんは警察の人と話している。

「どうしたー!」

 ぼくは土手を駆け下りながら自転車を飛び降りると河原を走った。雨に濡れ始めた小石に足をとられながらも走った。パトカーの赤いランプがピカピカと回っている。消防団の法被も見える。大勢の大人たちが騒然としている。誰か溺れたんだ。

 人ごみをかき分けて駆け寄り「どうした?」と聞いたが、周りの友達も黙ったままだ。しかもみんなずぶ濡れだ。ぼくは、うつむくつぶりょうの肩を揺すってもう一度聞いた。

「どうしたんだ、何があったんだよ!?」

 髪から水を滴らせながら、つぶりょうが絞り出すように言った。

「裕樹が、流された・・・」

 上流で起きたゲリラ豪雨はものの十五分でダムのゲートを開かせて、高沢川の水かさは増えた。二人は橋脚のそばの中州にいて取り残されてしまったのだ。普段は膝上まで浸かれば歩いて行けるので、ぼくたちはそこに渡って遊んでいた。

 つぶりょうは裕樹くんをおぶって岸まで泳ごうとしたが、もうすぐって時に流木が襲い二人は水中に消えた。クラスの仲間が飛び込んで、浮かんで来たつぶりょうを引き上げたが、裕樹くんの姿を見る事は無かった。

 今から一時間と少し前の事だ。

「裕樹ー!」

 川に向かっておばさんが叫んだ。

「裕樹ー!」

 おじさんも叫んだ。

「裕樹くーん!」

「ひろくーん!」

 ぼくらも叫んだ。

 その声を今になって本降りになった雨がかき消して、ぼくたちはずぶ濡れになりながら、泣いた。

 この夏のメーンイベントのひとつ「豊澄町涼風まつり」は今年もそこそこ盛り上がった。普段は静かなこの町の、どこにこんなに人がいるのかと思うくらいの人出だった。だけど、ぼくたちの祭りはまだ終わってはいない。見てみたいんだ、廃線列車を。つぶりょうと裕樹くんを会わせたい。そして、ぼくは誰に会えるのかを知りたい。

 *****

 ラジオからDJの声が流れて、午前一時を告げた。ぼくたちはむくりと起き上がり、うなずきあった。

「行こうぜ」

 枕元に用意しておいたサンダルをはいて窓の外を覗いてみると、町はすっかり落ち着きを取り戻していたが、月明かりで案外明るい。これから起こる出来事に思いを寄せると、期待と不安でいっぱいだが、まずはここから脱出しなくては。屋根瓦の上を少しだけ歩いて風呂場の上まで行き、お隣のブロック塀に降りてしまえば後は楽勝だ。

 つぶりょうが先に出た。もう何十回と抜け出しているんで慣れたもんだ。ソロソロと瓦の上を歩いた彼が雨樋を避けて塀に足を伸ばしたその時だ。瓦がずれてゴリッと音を立てた。右足をそのままに、左足をぶらりとさせながら、つぶりょうが口に人差し指を押し当ててフリーズしている。てか、お前が静かにしろよ。気をつけろって。今まで百発百中で成功してるんだ。初めての失敗が今夜だなんて勘弁してくれよ。

 体勢を立て直してブロック塀からそろりと飛び降りたつぶりょうが親指を立て「たけやーん」と口だけ動かしてぼくを呼んだ。

 夜風を受けながら並んで走るぼくたちの自転車は、廃線跡には向かっていなかった。その前による所があったんだ。

「札が落ちてればなぁ」

 ぼくもそう思うけど、

「ないない。千円目安で引き上げようぜ」と言うしかない。

 祭りの後の商店街には、小銭がザクザク落ちている。芋を洗うような混雑の中で小銭を落としてもわざわざ拾う人はいない。というか拾いたくても出来ないんだ。ぼくたちは祭りの翌朝落ちている小銭を回収するのが恒例になっていた。これを当てに出来るから祭りでは羽振りよく飲み食いしていた。今年は廃線跡に行く前に来たので期待出来る。後にしようかとも考えたけど、あっちは何が起こるか分らないし、長引いて来れなくなってしまうかもしれないので先にしたんだ。

 用意して来たライトを取り出すと早速キラリと光る物はないかと探し始めた。

「お、百円みっけ。これで四百円超えたぜ。たけやんは?」

 こっちは早々に五百円玉をゲットしたんで既に八百円を超えているけど黙っていよっと。後で驚かしてやる。

「えーっと、まだ三百円くらいかな」

 そうすっとぼけた時、カサカサ音を立てて動いている物が視線の隅に映った。近づいてライトを当ててみると札だ、千円札が風に吹かれている。

「うわぁ、千円みつけ。つぶりょう、千円落ちてたぞ!これで二千円近くになったよ。うひゃあ!」

 しまった。興奮して合計金額を口走ってしまった。

「マジでかぁ!もう一枚落ちてないかな?」

 つぶりょうが飛んで来てキョロキョロしながら言った。

 祭りの直後に来た甲斐があって、過去最高の金額になる事は確実だ。来年も早めに来ることにしよう。

 月明かりのおかげもあって、回収作業は思いの外はかどった。二人とも予想外の金額になったので、自動販売機コーラを買った。ひと仕事終えた後の炭酸は実に美味い。

「そろそろ四十分になるな・・・行こうか」

 つぶりょうが自慢のダイバーズウォッチのライトを点けて言った。二時前には着いておきたいから、ここらが潮時だ。

「でもさ、本当に出たらどうするよ、廃線列車」

「どうって、裕樹くんに会えるじゃないか。会いたくないのかよ」

 話したい事がたくさんあるはずだ。

「てかさ、どんなカッコで来るのかと思って」

「カッコ?」

 身なりの事か? 普通に服着てくるだろ・・・

 ぼくはハッとした。そうだった。裕樹くんは溺れたんだった。溺死したんだ。てことは、ずぶ濡れだったり、膨れてパンパンだったりすることもあるのか?裕樹くんが発見されたのは翌朝だった。

「俺、怖いよ。裕がおばけみたいになってたら・・・会いたいけど、怖いよ」

 盲点だった。この兄弟を会わせたいとばかり思っていたんで、そこに考えが及ばなかった。死んだ人に会うってことは幽霊に会うってことだ。てことは廃線列車からおばけがゾロゾロ出てくる可能性もあるんだ、どうしよう。

 だからって今更後へは引けない。去年、五十鈴おばさんは亡くなったおじさんに会ったんだ。つぶりょうだって裕樹くんに会えるはずだ。どんな姿だっていいじゃないか。裕樹くんは裕樹くんだ。怖くないはずだ、多分。

 とにかく行ってみなくちゃ始まらない。ぼくらは自転車に股がると、廃線跡を目指して漕ぎだした。

 さっきより少し、ペダルが重たくなった気がした。

 

   *****

 

「ここからは歩こう」

 ぼくたちは自転車を降りると歩き始めた。木々が月明かりを遮って、行く手を閉ざしている。

 しばらくして土手を登ると月明かりが戻って、錆び付いた線路と途切れ途切れの枕木が雑草の間に照らし出されていた。

 するとトンネルのそばに出たぼくらの耳に話し声が聞こえて来た。

「真っ暗だねー。何か出そうだよ。ここ、心霊スポットなんじゃない?」

 トンネルを覗き込みながら若い女の人が言った。

「出るのは列車だよ。大丈夫さ」

 この人達も会いたい人がいるんだろうか?単なる好奇心か・・・どうか邪魔だけはしないで欲しい。こっちは本気なんだから。

 線路の周りに敷いてある砂利に足を埋めながら歩いて行くと、周りに結構人がいる事が分った。若いグループ、夫婦らしき人、子供連れの家族・・・十五人ほどだろうか。

「どうやらここで良いみたいだな」

 豊澄町で廃線跡といったらここしかない。西側の長いトンネルの先は隣町になってしまうし、この先の東側は工場が建ったので線路は無い。ここしかないはずだ。

「ところでさ」つぶりょうが真っ暗な線路の行方に目を凝らしながら言った。

「列車ってさ、どっちから来るわけ?上りなの、下りなの?」

 考えてもいなかった。

「上りの方がよくない?トンネルから出てくる方が絵になるだろ?」

 確かにそうだ。そのほうがカッコイイ。ガタンゴトンと音はするが姿は見えない。どこだどこだと皆が探す中トンネルからドーンと登場! なんて・・・とにかく何処からでも良いから出て来て欲しい。時刻は二時を二十分ほど過ぎていた。

 

 ぼくらが登って来た土手の方からガサガサと音がする。誰か来た様だ。

「気を付けなさいよ」

 おじいさんが杖をつきながら登って来た。後にもう一人いるみたいだ。

 ぼくは「こんばんは」と声をかけてみた。

「こんばんは。まだだね?ああ、間に合ったようだ」

 おじいさんが軽く息を切らしながら言った。

 後ろにいるおばあさんが登りにくそうにしているので、つぶりょうと二人で手を貸した。

「ありがとう、ごめんなさいね、はあ、よいしょ」

 おばあさんはスカートの裾に付いた草を払いながらやっと登りきって言った。 

 老人は坂田と名乗った。年は七十代か。温和な感じの人だ。この暑いのにスーツで、帽子まで被っていた。それは、ぼくのおじいさんの「よそ行き」と同じ格好だった。おばあさんは黒っぽいワンピースを着ている。誰に会いに来たのだろう?

「きみたち中学生かい?」

 怒られようが帰る気はない。正直に答えた。

「そうです」

「会いたい人がいるんだね?」

 ぼくたちは黙って頷いた。

「そうか、会えると良いね。私達も会いたい人がいてね・・・息子に会いたいんだ」

 息子さんは早くに亡くなったそうだ。

「噂には聞いていたが私は半信半疑でね。婆さんにせっつかれて来てみたんだが・・・廃線列車って、そんなもん出なくても別にね・・・眠たいくらいなもんで、ははは」

 おじいさんは力なく笑って、おばあさんの顔を伺った。

「いいじゃないですか、どちらでも。もし会えたらうれしいものねぇ・・・」

「俺の弟も死んじゃって、もし会えるもんなら会いたいから来ました」

 つぶりょうがまるで教室で発言するかのように口を開いた。

「あの、質問なんですけど、もしも本当に列車が来て息子さんが出て来たとして、その、おばけだったらどうしますか? 怖い感じになってたら・・・」

 おばあさんが答えた。

「私だったら会いたいわ。おばけでも抱きしめたい。だって、息子ですもの」

 つぶりょうはホッとしたように微笑んで、

「そうですよね、俺も裕がどんなになってても会いたいです」

 そうとも、裕樹くんはおばけなんかになってやしないさ。いや、おばけかもしれないが怖い感じにはなっていない、と思うけど・・・もしもの時は全速力で逃げよう。

 いつの間にか待ち人は二十人ほどに増えていて、それぞれに間合いをとりながら固まって廃線の行方に目をやっていた。さっきコーラを飲み干したばかりだというのに、ぼくの喉はカラカラだった。

 

 *****

 

 二時半を大きく回って、そろそろ丑三つ時が終わろうとした頃だ。どこからか汽笛が聞こえた。確かに汽笛だと思った瞬間、空が真昼のように明るくなった。見上げると青白い物が浮かんでいる。UFOだ、という声も飛んだがそうじゃない。あれは列車だ。青白い光の中に車輪が見える。ぼくたちの真上に列車が浮いているのだ。そして、それは音も無く降りて来た。さっきまで鳴いていた虫も、獣の声も、沢のせせらぎさえも聞こえなくなっていた。機関車を先頭に四両の客車が連なっている。機関車の方は蒸気機関車だった。だから汽笛が聞こえたんだ。煙突から煙が立ち昇っている。初めて見るけど、随分重そうだ。音も無く浮いているのが信じられない。

 出たんだ。本当に出たんだ、廃線列車が!

 そして、それは、ぼくたちの目の前に降り立って、全てのドアが音も無く開いた。

 

 青白い光に包まれながら線路の上に着地した列車を前に、誰もが言葉を失っていた。客車の中は蒸気なのだろうか、霧のようなものがかかっていて、全体が発光しているのでハッキリとは見えないし、何かがうごめいているようだがどうしたら良いのか分らない。

「孝志・・・孝志ー!」

 静寂を破って誰かが叫ぶと、二両目の一番奥のドアから、派手なアロハが飛び降りた。ホームがないから、結構な高さだ。

「うっせーな、ババア。黙っとけよ」

 アロハは二十歳くらいに見えるけど死人には見えない。

「抱きつくなって!うぜーんだよ、暑苦しい」

 空から降りて来た列車に乗っていた幽霊は、もの凄くリアルだ。悪態ついてるし。どう見ても普通の人だ。

「孝志ぃ、うわーん」

 ババアが、いやいやアロハのお母さんらしき人が声を上げて泣き出すと、まるでそれが合図だったかのように列車から人が次々と降りだした。あちこちから声が上がり、辺りは騒然となった。軽いパニックだ。そりゃそうだろう、死んだ人達がゾロゾロと姿を現したんだ、とても現実とは思えない光景だ。

「秀勝、あぁ・・・」

 坂田のおばあさんが列車に向かって歩き出した。差し出した手の先には少年が立っている。

「お父さん、お母さん、会いたかったよ」

 早くに亡くなったって聞いたけど、まだ子供じゃないか。裕樹くんと同い年くらいかな。どうやら亡くなった時のまま現れるってことらしい。

「秀勝、お前なんだな・・・」

「お父さん、ずいぶん老けたね」

 そりゃそうだろう五十年も経てばお父さんもお爺さんになるさ。それにしても随分古い感じがする服装だ。なんて言うか、昭和の雰囲気が濃厚だ。絶対にケータイ持っていないだろうな。

 しかし、この子はどうして亡くなったんだろう? 事故か病気か、それとも戦争とか・・・小学生のうちに死ぬって、どんな感じなんだろうか? 無念だろうとは思うけど、大人になってからより執着ないからかえって化けて出る事も無く、いやいや、おばけにはなってるか。でも、会いたがったのは生きてる人の方だからなぁ。呼ばれたんで渋々おばけになってくれたのかもしれないし。うーん、良く判らない。しかし、おばけに見えないよな。体が透けているわけでもないし、もちろん足も揃っている。どう見ても普通の人だ。怖くないし。そして、なにより老夫婦をこんなにも笑顔にしてくれている。意外だ。

 ふと気付くと、ぼくたちの他にもこの光景を見守っている人がいた。和服を着た女の人だが、とてもきれいだ。昔の映画女優みたい。髪留めが列車の灯りに照らされて光っている。

「・・・喜三郎さん」

 その人は申し訳無さそうに坂田老人に声をかけた。知り合いなんだろうか。いや待てよ、この人おばけなんじゃないのか?

「八重子さん?・・・八重子さんじゃないか!」

 女の人は微笑んで頷いた。坂田老人は目を見開いて驚いている。この人、おじいさんの会いたかった人なんだ。息子さんじゃないんだ、会いたかったの。でもこれって、まずいんじゃないのかな? 夫婦で会いたいのが同じ人じゃないのって、まずいんじゃないのかな? 別の人って・・・

 どんな関係なんだろうか? この様子からすると兄妹や親戚ではないと思う。元婚約者?前妻?まさか愛人とか・・・それとも初恋の人?

 親子水入らずの中に八重子さんが入って行ってどうなるかと見ていたら、何も起こらない。四人でほのぼのしている。おじいさんも、おばあさんも、秀勝くんも、八重子さんも、みんな楽しそうだ。

 二人の関係がどんなものなのかは判らないけれど、ウチだったらどうだろう。父さんの会いたい人が八重子さんみたいな美人だったら、母さんなら父さんにグーで殴り掛かる事請け合いだ。修羅場だな、修羅場。考えたくもないや。

 夫婦で違う人を望む事もあるんだな。しかも、それでも円満って・・・こんな事あるんだ。複雑なんだな。とても意外だ。

「なんだか分んないけど良かったな」

 あれ、さっきまで隣にいたつぶりょうがいない。見回すと一番後ろの車両の前でウロウロしている横顔を見つけた。そうだ、裕樹くんはどこだ? 絶対いるはずだ。いないほうがおかしい。つぶりょうの元へ走った。

「いた?」

「ああ、たけやん。おかしいな、見つからないんだ」

 額に汗を滲ませながらつぶりょうが言った。ぼくもここへ来るまで気を付けていたが見当たらなかった。つぶりょうがモヤモヤした客車の中を覗こうとしているが、

「中には入らないほうが良いぞ。なにがあるか分らないから」

 出てこられなくなったら大変だ。

「もしかして反対側か? 反対側もドア開いてるだろ?」

 つぶりょうが向こうを指差しながら言った。そうだ、その可能性はあるぞ。よく見えないけれど開いているはずだ。

 ぼくたちは砂利に足を取られながら反対側に回ってみると、少年が一人列車の青白い灯りに照らし出されて、ポツリと佇んでいた。

「裕樹ー!」

 振り向いた少年は裕樹くんだった。あの頃のままだ。

「お兄ちゃん!」

「うぉん!」

「なんで一人だけこっちなんだよ。あっち側に降りろって。探したぞ」

「降りたよー。でも、兄ちゃんいなかったからこっち側に来たんだよ」

 駆け寄った二人が、がっちりと抱き合った。良かった、会えて。

「いたさ、ずっと探してたんだぞ、裕」

「会いたかったよー、うぅ・・・」

「うぉん!」

 泣き出す裕樹くんに、うぉんと・・・うぉん? なんだ「うぉん」って?

 音のした方に振り向くと、車窓に白い手が乗っている。

「うぉん!」

 白犬が身を乗り出して今一度吠えた。

 ・・・あれ、シロじゃないのか!?

 やや黄ばんだモコモコとした毛並み、垂れ下がった口元、角の無い低い鳴き声・・・そうだ、あれは四年前に亡くなった岡田家の愛犬シロだ!

「シロー!」

 ぼくは車窓に駆け寄りながら言った。

「降りて来てくれよ、さあ、こっちこっち」

 ドアから飛び出したその犬は、ぼくの体に前足を投げ出して「うぉん」と吠えた。間違いない、シロだ。

「なんだよお前、なにしてるんだよ、えぇ?」

 長い舌で舐め回してくるシロの口は相変わらず生臭い。何しに来たんだろう、こいつ。

「うぉ、うぉ、ぶしゅん!」

 おいおい、落ち着けって。

 のど元を撫で回してやると目を細めている。そうかそうか、気持ち良いか、よしよし・・・って待てよ。シロは死んだはず+廃線列車に乗って来た=ぼくに会いに来た!? いやいや、待ってくれ。ぼくが一番会いたい人、会うべき人ってシロなのか? シロは犬ですけど・・・い、意外だ。

 

 他に動物が会いに来た人はいないようだから少し恥ずかしいけれど、やっぱり嬉しい。

 シロはぼくが生まれる前から岡田家の一員だった。元々は母さんの家の番犬だったらしい。だから、ぼくが生まれた時には既にいて、一人っ子のぼくとは兄弟同然に育った。

 シロが死んだ時は泣いた。老衰だから仕方ないと何度諭されても納得いかなかった。何故ぼくを置いて行ってしまったのか分らずに、裏切られた気持ちで一杯だった。臨終間際に寒いはずも無いのにブルブルと小刻みに震えていたあの姿は、絶対に忘れられない。

 思い返すと、あんなに悲しかった事は他には無い。シロが会いに来てくれたのは必然だったんだ。

 しかし、中学生である事の限界を感じるなぁ。今のぼくが一番会いたいのは犬のシロだとは・・・意外にもほどがある。

 つぶりょうと裕樹くんは並んで座って話し込んでいる。シロとそこら辺走り回ってくるよと声をかけようとすると、裕樹くんが立ち上がってグルグルと回りだした。何し始めたのかと見ていると、何処からか水が流れて来て裕樹くんを巻き込んだ。

「なんだぁ?だいじょぶかぁ?」

 駆け寄ると、

「裕がさぁ、溺れた時どんなだったか見せてくれるつって」

 裕樹くんの体は上を下への大騒ぎで、回りながら説明を始めた。

「あのさぁ、ゴツンて何かがぶつかってさぁ、川の中に入っちゃったんだよね。そしたら、ぐるぐるって流されたんだよ。もっと濁っててさ、何にも見えなかったよ。凄く怖かった。後は覚えてない」

 近くで見ると、裕樹くんを巻き込んでいる「何か」は、水の様で水ではない。風のような、砂のような・・・シロも前足で触ろうとしてみるが空振りしている。何だか分らないが、ここに来て初めて怖い事が起きてる。やはり、ここは尋常ではない空間なんだ、不思議すぎる。

「うわーん」

 突然裕樹くんが泣き出した。

「兄ちゃん、なんで助けてくれなかったんだよぉ。ぼく、ぼく死んじゃったじゃないかぁ」

 あの時のことを思い出したんだろう。

「ごめん、裕樹!兄ちゃんも流されて、溺れちゃって、浮き上がった時にはお前のこと見失ってたんだ」

「なんで見失うんだよぉ。渡れるって言ったじゃないか!」

「ごめんよ裕樹」

「ばかぁ!ばかばかばかぁ!」

「俺が悪かったよ。本当にすまない、守ってやれなくて・・・」

「兄ちゃーん」

「裕樹!」

 抱き合っていると思うが、涙でよく見えない。これこそ二人が交わしたかった会話だ。あの時、濁流の中で伝えきれなかった言葉だ。会えて本当によかった。

「ぼくたち少し歩いてくるよ」

 裕樹くんの鼻水を拭いてやっているつぶりょうに声をかけると、シロと一緒に先頭の機関車の方に行ってみた。これが蒸気機関車か。昔この線路を走っていたんだろうか。運転士がいると思うけど、やはり中はモヤっていて見えない。誰かが運転して来たはずなんだけどな。

 反対側に回ってみると、だいぶ落ち着きを取り戻していた。シロと一緒に歩いて行くと、あっちからこっちから様々な声が聞こえてくる。

「・・・そうそう、それでさ、その店に行ってみたら・・・」

「・・・許せない、絶対に。納得いかないよ、そんな・・・」

「・・・あはははは、何言ってるのよ、いやだー、あはははは・・・」

 駅前の人ごみの中で交わされている会話となんら変わりない。この内の何人かの人は、既に死んでいるというのに、おばけだというのに、どの人が列車に乗って来たのかさっぱり分らない。

 もしかして、みんな生き返ったんじゃないだろうか?だとしたら、このままシロを家に連れて帰っても大丈夫じゃないのか?

「シロ、家へ帰ろうよ。父さんも母さんも喜ぶよ、さあ」

 促してみたけどシロは行儀よく座ったままソッポを向いて動こうとしなかった。そうか、列車からは離れられないんだな。

「うぉん!」

 ぼくはシロの元に戻って抱きしめた。やっぱりお前は死んだんだな、こんなにも暖かいのに。

 汽笛が響いた。

 それがこの不思議な時間の終わりの合図だった。会いに来てくれた人たちが次々と別れを告げて列車に乗り込んで行く。

 アロハの兄ちゃんも飛び乗った。

「孝志、体に気をつけるんだよ」

「アホかぁ、死んでんじゃボケェ!」

 最後まで悪態ついている。あの人、本当におばけなんだろうか?

 坂田のおじいさんは、八重子さんとなにやら話し込んでいる。やっぱり訳ありの様だ。何にしても昔一度別れて今また別れるんだ。そりゃ手も握りあうだろう、そりゃそうだ。おばあさんは息子の秀勝くんの頭を撫でている。二人とも愛しい人と会えたけれど、本当に良かったんだろうか? また別れなくちゃいけないなんて残酷に思えるよ。

 老夫婦は二人して息子を車両に押し上げようとしている。手伝おうかとも思ったけれど、ぼくもつぶりょうも空気を読んで止めておいた。間に入るなんて無粋だ。先に乗り込んだ八重子さんが秀勝くんの手を握って引き上げた。

 坂田老人がソフト帽を脱いで「さようなら、また会えるよ、もうすぐだ」と二人に振った。

「またな」

 つぶりょうがしゃがみ込んで裕樹くんを抱きしめた。

 辛いだろうな。

 ぼくたちが、また来年も会いに来ると約束しようとすると、それは出来ないんだそうだ。裕樹くんの説明は要領を得なかったが、要するに会うべき人と会うことは出来るが、同じ人とは一度だけしか会えない、てことらしい。もう二度とこの兄弟は会えないんだ。少なくてもこの世では。

 もちろんぼくとシロとも会えない。だからさっきから鬱陶しいほど顔中を舐め回されているのをガマンしているわけだ。そろそろいいかな。

「またね」

 裕樹くんとガッチリ握手した。元気で、とは言えないのが辛いよ。

「兄ちゃんありがとう。たけやんもありがとね。楽しかったよ」

 ぼくもだよ。笑顔の裕樹くんと会えて良かった。

「うぉん!」

 もちろんお前ともな、シロ。

 もう一度汽笛が鳴ると列車は強く光って、静かに浮き上がった。

「さよーならー!」

 あちらこちらから声が上がった。残されたぼくたちは、去って行く列車を見送るしかなかった。飛び跳ねながら手を振る人、叫び続ける人、泣き崩れる人・・・裕樹くんもシロも、やがて見えなくなった。

 列車は見上げるぼくらの首が痛くなるほどの高さに昇ったかと思うと、一瞬、真昼ほどに夜空を明るくして、消えた。

 

 *****

 

「そんじゃ帰ります。お世話になりました」

 朝食をごちそうになって、ぼくはおいとまする事にした。あれから興奮が収まらなくて、ほとんど寝ていない。廃線列車が消えた時から、ぼくも、つぶりょうもその事には一切触れていないが、多分二人ともあんな有り得ない事を確認しあうのが怖いんだ。

「夏休みのうちにまた泊まりにいらっしゃいよ。スイカ切ってあげるから、ね?」

 おばさんは今日も優しい。

「はーい」眠いから帰ります。

 つぶりょうが庭先まで送りに出てくれた。

「ありがとう、たけやん。お前が誘ってくれなかったら俺、裕樹に会えなかったよ」

 いつになく神妙な面持ちだ。

「裕に会えて本当に良かった。本当に・・・」

 ん、なんだ、泣くのか?

「よせやーい、つぶりょう。お前らしくないぞ。ぼくも嬉しいよ。シロにも会えたしさ」

 ぼくがそう言うと、つぶりょうの顔に明るさが戻って、

「でも、たけやんて本当に薄っぺらな人間なのな。会いに来たの犬って」

「ぅおーい!薄っぺらって言うなよ、薄っぺらって・・・気にしてんだからな」

 中二の七十パーセントは死んだペットが会いに来るんだよ、多分。

 ぼくは自転車に股がると、手を振った。ハンドルが汗でベタつく。帰ったら久しぶりに洗車でもするか。

 今日も朝から随分と陽が強い。

 家に帰ってからも昨夜の出来事が鮮明に蘇って頭の中を飛び回っている。

 ぼくに会いに来てくれたシロの温もり。久しぶりに会えた裕樹君の笑顔。きれいな女の人が会いに来てしまった坂田老人。生きてるとしか思えないアロハの兄ちゃん・・・そして空飛ぶ廃線列車。なにもかも予想を超えていた。意外なことばかりだった。これじゃいくら眠くても眠れっこない。

 ぼくは縁側から庭へ出ると、咲いたばかりの淡い紫色の朝顔を摘んでシロのお墓に供えた。

「ありがとう、会いに来てくれて」

 どこかでシロが「うぉん」と吠えた気がした。